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2019年4月30日 (火)

丹沢登山紀 4月 

4月に入って、4/04091628と4回登ることができました。待ちに待った春の到来です。  

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4/04(木) 前回(3/24)から2週間ぶりとなる丹沢登山でした。登山口に着くと、桜が満開でした。

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とても久しぶりにMoeさんに再開しました。2017.9に涸沢に行って以来1年半ぶりでした。仕事が忙しかったとのこと。いろいろ話したかったのですが、健脚のMoeさんにはついて行けないので先に行ってもらいました。

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2週間ぶりともなると脚の運びや体重移動などが何となくしっくりこない感じでしたが、青空と明るい陽射しとヒンヤリとした空気が気持ちよく、登山者も少なくノビノビと歩くことができました。桜の枝が伸びていて蕾も少し膨らみ始めました。

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久しぶりでしたのでバテないようにゆっくりペースで登ったのですが、結局かかった時間はあまり変わりませんでした。

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前回も見た鹿の行動が活発になってきたようです。今や日本中の山では珍しくない光景です。最近ではジビエ料理の食材として注目されているとか。私も好きですが・・・。 

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4月の2回目は前回から中4日の4/9(火)でした。天気は快晴でしたし、前回からあまり日が経ってないので楽勝かと思ったのですが逆に体は重く、足はなかなか上がりませんでした。スタートはいつもそんな調子かと思っていたのですが、逆に疲労感が蓄積するばかりでした。 

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07:10に登山口を出発して約2時間、まったく調子は上がりませんでした。調子がいいときはあれこれ考えず自然にルート選択はできますし、足も勝手に動くのですが、調子が悪いと楽をしようと考えすぎて逆効果になりました。

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丹沢の豆桜が咲き始め目を楽しませてくれたのですが、体調もテンションも上がらないまま、いつもより早めに下山してしまいました。 

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前回から1週間ぶりの4/16(火)、今月3回目の丹沢登山に出かけました。山頂への最後の階段で見上げた空は真っ青で、最後の登りに力が入りました。

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この日は天気も体調も良く、午後からも用事はありませんでしたので今月初めての登頂となりました。7時過ぎに登り始めて3時間かかり、急ぎ足で下山しましたので11:22発のバスに間に合いました。13:30には帰宅という快調な登山でした。 

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久しぶりの山頂で食べるオレンジの美味しかったこと。やはり登山には柑橘系が必需品です。

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前回から2週間近くのブランクが空きました。軽い鼻風邪を引いてしまいましたが、4/28(日)に今月4回目の登山に出かけました。10連休の初日でとても天気がいいということでたくさんの登山客がつめかけました。目を上げれば樹々にはうすい緑色の葉が見られるようになり、5月になると新緑が楽しみです。

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最近の流行言葉風にいえば平成最後の富士山です。空は薄曇りのようではっきりしないのですが、富士山は残雪の襞までわかるくらいはっきり見えました。元号が変わっても富士山はいつものように泰然自若としていることと思います。

毎年京都で花見のはずの4/1は、主治医からの強制的な指示で人間ドックでした。おまけにこの際、体中隅から隅まで調べましょうということで、人間ドックの延泊となりました。その数日前、横浜での住まいの増改築や現在の住まいのリフォームをすべて任せていた同じ歳の工務店の社長(棟梁)が、脊椎カリエスの手術日の前日の血液検査で白血病が発覚しました。水泳の池江選手のような若い人ならわかるのですが、職業柄頑強な身体でしかもこの歳になって白血病とは驚きでした。4月は、自分の健康や体調を考えながらの登山の日々でした。

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2019年4月27日 (土)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 06初めての山小屋泊まり

著者は作家という職業柄知り合いも多く、たくさんの山仲間ができました。居酒屋で知り合ったAさん夫妻は山岳会をつくっている本格派で、その輪が広がり中には蒼々たる人もいます。  

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深田良一氏もその一人です。アイガー北壁に登頂するような人は近づくのも恐ろしくて。(画像はアイガー北壁)  

1942年生まれ。20歳の時に山学同志会に入会。70年、アイガー北壁ダイレクト・ルート冬季世界第Ⅱ登。73年、RCCⅡエベレスト南西壁登肇参加。更にヒマラヤ・ジャンヌー北壁世界初登撃、カンチェンジュンガ北壁無酸素世界初登撃、等々、さまざまな登筆記録を樹立した登山家だったのである。」 

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山仲間には、編集者でフルマラソンランナーやトレイルランニング愛好家などプロではありませんが実力派のアスリートなども加わりました。またそこそこ著名な作家も加わり、気楽な登山会はいつしか山岳会の顔も持つようになりました。 

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浅間山でトレーニングを重ね、山仲間もできて、著者が浅間山山系以外の山で初めて挑戦したのが涸沢カールでした。総勢5人で日程は余裕を持って34日。著者にとっては初めての泊まりがけ登山でした。  

「初めての上高地は、パンフレットで見るのと同じだった。美しく透き通った梓川、そしてシンボルでもある河童橋。どこも登山者と観光客でごったがえしていた。上高地に到着後、すぐに出発して、明神、徳沢をそれぞれ一時間ほどかけて歩いてゆく。今夜は横尾(1600メートル)で一泊の予定だ。」

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著者の山小屋宿泊初体験は横尾山荘で、山小屋としては別格に居心地がいい山荘です。こういう体験がいいのか悪いのか。  

「初めて泊まる山小屋は横尾山荘。イメージとして、山小屋は狭くて暗くて、布団や枕は古びていて湿っぽく、ぎゅうぎゅう詰めで寝かされる、と思っていた。けれどもそこは建物も新しく、山小屋というよりペンションに近かった。部屋にはいくつか種類があって、私たちが通されたのは、二段ベッドが四組並んだ8人部屋だ。知らない人たちと一緒なのは少し気を遣うけれど、ベッドはカーテンで仕切られているので、ある程度のプライバシーは守られる。食事も想像していたよりずっと美味しかった。お風呂もあって有難かった。」

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涸沢カールへの行程は初心者向けといわれていますが、それでも北アルプスですので決して楽ではありません。私が行ったときも雨でした。(画像は20179月) 

「翌朝も天気はすぐれず、雨が降っていた。登山道は岩場だったりガレ場があったりしたが、怖さに足を疎ませるというような箇所はなく、目的の涸沢カールまであと2時間の予定だ。ここから勾配はやや急になり、だんだん息が上がっていった。慣れた人には笑われてしまうだろうが、やはりその頃の私にはなかなかにきつい行程だった。ただ、登れば登るほど黄色く染まったダケカンバや燃えるように赤く色づくナナカマドが目に嬉しく、気持ちを後押ししてくれる。」 

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涸沢カールへの行程は初心者向けといわれていますが、それでも北アルプスですので決して楽ではありません。私が行ったときも雨でした。(画像は20179月) 

「翌朝も天気はすぐれず、雨が降っていた。登山道は岩場だったりガレ場があったりしたが、怖さに足を疎ませるというような箇所はなく、目的の涸沢カールまであと2時間の予定だ。ここから勾配はやや急になり、だんだん息が上がっていった。慣れた人には笑われてしまうだろうが、やはりその頃の私にはなかなかにきつい行程だった。ただ、登れば登るほど黄色く染まったダケカンバや燃えるように赤く色づくナナカマドが目に嬉しく、気持ちを後押ししてくれる。」 

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著者のグループが宿泊した山小屋は多分涸沢ヒュッテだと思います。紅葉の最盛期には超々混雑する、通路やトイレの前まで人であふれると聞いていましたので、私は涸沢小屋にしかも最盛期を外して泊まることにしています。画像は20179月に丹沢で知り合ったMoeさんとの同行j時。この日は8人部屋を6人(3組の夫婦やカップル)で使用でしたが、それでもリュックの置き場に困り廊下に出しました。   

「そして、山小屋に入ったのだがそこは想像していた通りの場所だった。指定されたのは二階の大広間の一画で、行ってみると三畳の広さに三組の布団しか置いてない。私たちは5人。確かに混み方は大変なものだったが、ザックを置くスペースもない。『ここなの……』 私は自分に言い聞かせた。これがきっと山小屋に泊まる醍醐味に違いない。こういう状況を楽しめるようにならなくては山登りをする資格がない。その夜、横並びに寝るとあまりにも顔が近いので、交互になって眠った。エチケットとして靴下だけは新しいものに替えた。」 

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画像は20179月にMoeさんと同行したとき、8人部屋で6人でしたので布団は一人一枚ずつ使えましたのでゆっくり眠ることができました。それでもMoeさんは他の人のイビキで寝られなかったとぼやいていました。  

「後日、知り合いの山屋の方にその話をすると『それはきつい。テントにした方がいい』と言われた。やはりベテランでも三組の布団に5人は辛いようである。」 

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私は何回か涸沢カールに出かけているのですが、朝焼けのモルゲンロートを眺めたことはありません。著者はその絶景を眺められたのはラッキーです。  

「ほとんど眠れぬまま朝を迎えた。外を見ると、幸運にも天気は回復していた。急いでダウンジャケットを着込み、外に出ると、すでに多くの登山客が立っている。三脚でカメラを構えたおじさんたちもいっぱいいる。気温は0℃くらいだ。震えながらしばらく待っていると、やがて山肌が赤く染まり始めた。夕陽のような濃厚な赤ではなく、澄んだ赤。辺り一帯がみるみる色を変えてゆく。空も雲も人も赤に染まってゆく。モルゲンロートだ。『何てきれい……。』 昨夜はあんなに荒れていたのに、こんな美しい風景を見せてくれるなんて、自然は優しいのか、気まぐれなのか。」 

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登山では登頂後の下山が難敵です。疲れていますので足の力が弱くなっていて踏ん張りもきかなくなっています。  

「たっぷりとモルゲンロートを堪能してから、朝食を済ませた。荷物をまとめ、さあ下山である。この下山が意外と曲者だった。昨夜降った雪と霞が凍り、道がつるつるになっている。滑ったら転ぶだけでは済まない。きっと坂道を転げ落ちてしまう。山の事故は90パーセントが下山時に起こるという。すっかり緊張して、ストックを持つ手に力が入り、肩ががちがちに凝ってしまった。」

「横尾から上高地への戻り道も思いがけず辛かった。勾配はないので体力的には楽なのだが、距離の長さにだんだん気持ちが萎えてゆく。次の山小屋に着いたらソフトクリームを食べよう。熱いコーヒーを飲みたい。いや、やっぱりビールでしょう。そんなことばかり考えながら足を運んだ。登山は、下山後の呑み会がセットになってこその楽しみなのである。」  

山小屋を利用しての登山をしたいと思うのですが、最大の悩みは山小屋の混雑です。贅沢は言ってはいけないとわかっていますので、せいぜいピークを外すとかの工夫はしています。私の最大の混雑体験は富士山でした。それが嫌ですので、よほどのことがない限り宿泊しないで徹夜で登る弾丸登山を選択してきました。 

 

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2019年4月25日 (木)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 05登山のルール

何回かの浅間山登山を通じて、夫(著者がリーダーと呼んでいる)から登山の基本的なルールを学びました。

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最初に学んだのは登山の基本中の基本、歩き方です。  

「最初の頃は、少しでも時間と距離を短くしたくて、大股で歩き、段差のあるところは一歩で乗り越えようとした。けれども、これをやっているとすぐに息が上がってしまう。少しくらい時間がかかったり距離が長くなっても、歩幅を狭くし、一歩で歩けるところを二歩か三歩で進む。段差があるなら、面倒がらずに回り込む。その方がずっと身体に負担がかからないと知った。」

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次に学んだのも基本中の基本、呼吸の仕方です。呼吸の仕方は、標高が高くなればなるほど大事になります。  

「呼吸も同じで、辛い時は酸素を取り込まなければならないと信じ込んでいたが、吸ってばかりいると逆にどんどん苦しくなってゆく。最初はどうしてそうなるのかわからなかった。聞けば、吸い過ぎると過呼吸に近い症状に陥るとのこと。吸う方ではなく、吐く方を意識するように、と言われて実行すると、なるほど確かに楽になった。」  

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呼吸の仕方については、プロスキーヤー三浦雄一郎さんが重りをリュックに入れたり足首に付けたりして平地トレーニングをしている姿をTVで見ますが、その時に必ず頬を膨らませて強く息を吐き出しています。画像は80歳でエベレストに挑戦したときのもので、強く息を吐きながらエベレスト街道を歩いていました。 

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呼吸で強く吐き出すということは、富士山やヒマラヤなど標高が高くなればなるほど必要になります。吸い込んだ酸素で肺が一杯になった後、強く吐き出さないと次の新鮮な空気を吸い込むことができません。画像は富士登山(2017.83.2423回目)のもので、九合目の鳥居(3500m)も近くなり、山頂も濃い霧の中で確認できるようになりました。かなり息が苦しくなりますので強く吐くと楽になります。

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自分の経験では、強く吐くという呼吸法の大切さを痛感したのはヒマラヤ・カラパタール(5545m)登山でした。人生で最も苦しいと思った酸素不足と手先の感覚がなくなった凍傷の恐怖から必死になって酸素を吸い込んだのですが、強く吐くということを忘れてしまい、結局登頂100m手前でギブアップしたことです。画像はエベレスト目前にしたカラパタールの中腹。

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ヒマラヤ・カラパタール登山では、同室になった 関西代表さん は登頂と同時に意識を失い、命に別状はなかったのですが馬の背に乗せられて下山し2日間昏睡状態になりました。私は、酸素を強く吸い込もうとしたために零下数十度の冷たい空気が胃を直撃し、やはり2日間胃が全く機能しませんでしたし、私は手先の軽い凍傷による痺れで1ヶ月くらいボタンを嵌めることができませんでした。

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登山の基本に話を戻しますと、次に大事なのは自分のペースを掴むことです。ペースを掴むことは人それぞれで、著者は歌を思い浮かべながらペースを掴んでいるようです。  

「歌を歌うのもひとつの方法だ。今、私のテーマソングは中島みゆきの『時代』。『まわるまわるよ 時代は回る』と、頭の中で歌っている。最初はできるだけペースを落としてゆっくり登り、徐々に身体を慣らしてゆく。これも実行している。ただ、最初にうんとペースを上げ、心拍数を目いっぱい高めた方が後半は調子がいい、という人もいる。でも、これはたぶん上級者向きだ。私はそれを試して、途中ですっかりバテて動けなくなった。」

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著者は、山のルールも教わりました。  

「山のルールも教わった。たとえば、登山道で相手と擦れ違う時は、下っている方が足を止めて道を譲る。これは、登っている人が足元を見てしまい、下ってくる人の姿が目に入らない場合が多いからだ。それと、下っている方が登山道を一望できるので、どこで安全に道を譲れるか判断しやすいからだという。」   

画像は、丹沢表尾根コースの細い尾根道で、登ってくる人が登りきるまで待機することがしばしばあります。  

山道は人が一人しか通れないような場所がたくさんありますので、登山ルールで最も大事な基本ですが、その基本を知らない人や知っていても無視しているような人もしばしば見かけます。後々、著者もそんな人に遭遇して苦い経験もするようになります。

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2019年4月22日 (月)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 04浅間山登山

著者は近場の離山でトレーニングを重ねながら、月に12回浅間山に登りました。 

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私自身は、浅間山を背景にした「火山のふもとで」を読んだり、小諸から松本への旅をした時に「しなの鉄道」の車中で地酒の「浅間嶽」を飲みながら浅間山を眺めたり、何となく親しみを持っているのですが、登ったことはありません。

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浅間山の難易度は54(高いほど難易度が高い)で上級者レベルの山です。私のホームグランド丹沢(塔ノ岳)の難易度は40ですので、浅間山は決して易しい山ではありません。 

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浅間山は人気の山ですので登山口(天狗温泉浅間山山荘登山口)はよく整備されています。 

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登山口にはしっかりとした案内板がありますので初めての人でも安心です。

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浅間山は名前がよく知られた山ですが決して易しい山ではありません。著者も最初は標高約2000mの火山館までが限界でした。この火山館は登山口から1時間半くらい登った場所にあり、2階建ての火山館は資料館というより火山シェルターを備えた山小屋のようです。 

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次に、何回かトライして登山口から3時間半くらいの賽ノ河原へと距離を延ばしました。

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ガレ場に苦闘しながら浅間山(前掛山)の途中までも何回か登りました。  

「山を巻くようにして、前掛山の登山道が続いている。道は浮石が多く、ザレ場になって、登りにくいったらない。前に進めた足が滑って、元のところまで戻って来る。その分、体力と時間がかかる。はあはあと、自分の呼吸の荒さばかりが耳に届く。登る時間より休む時間の方が多いくらいだ。」 

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登山は苦しい思いをして標高を上げてゆけばご褒美もあります。  

「けれども、ここまで登って来ると見晴らしが素晴らしい。森林限界を越えているので樹木はなく、外輪山の黒斑山(2404メートル)、蛇骨岳(2366メートル)、仙人岳(2319メートル)、鋸岳(2254メートル) の稜線が間近に望まれる。これが惚れ惚れするほど美しい。また、中腹からは隣の群馬県の風景も眺められる。」 

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浅間山トレーニングを重ねて半年後、著者は念願の浅間山(前掛山)登頂を果たしました。

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「そこで待っていたのは、最高の景色だった。目を馳せれば富士山が、八ヶ岳が、御山獄山が、乗鞍岳が、穂高連峰が、他にも名も知らない山々の連なりが豪快に見渡せる。こんな私でも頑張れば頂上に立つことができるんだ。ここに来るまで長かった、辛かった。それだけに嬉しかった。こんな清々しい気持ちになるのは久しぶりだった。」

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浅間山は登ったことはないのですが、浅間山といえば噴火がイメージされます。時々登山規制も行われます。かつての噴火の跡は外輪山となって残されているのですが、その稜線歩き(富士山でいえばお鉢巡り)は展望が楽しめ登山の一つの魅力でもあります。 

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登頂は苦労した分だけよろこびも大きいのです。  

著者は浅間山登山をきっかけにさらにズブズブと登山にのめり込み、さらに次の山へと向かいました。 

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2019年4月20日 (土)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 03山はすぐには登れない

著者は、登山デビューの苦い経験と愛犬を失った心の痛みを癒やすために、再び登山に挑戦しようと決意しました。 

「その気持ちを伝えると、リーダーが言った。(ここから夫はリーダーに名称変更)。『だったら、まず装備をきちんと揃えよう。命に関わるものだし、初心者なら尚更、装備に頼るところが大きいから』 それには私も納得した。山装備の三種の神器は、登山靴、ザック、レインウエアと言われている。」  

登山を始めるようと思ってもどこまで本気になれるかわからない段階では、たしかに最初からお金をかけるのはもったいないと思うのですが、一方最近ではスタイルから入る人も多いようです。

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「今まで持っていた装備で登って『これでは駄目だ』と痛感した。靴は滑りやすく、くるぶしまでの長さしかないので足首がぐらつく。リュックは大した荷物が入っていないのに背負った時のバランスが悪く、肩に食い込んで痛い。雨合羽は蒸れて汗びっしょりになった。というわけで、リーダーに連れられて登山用具専門店に向かうことになった。」  

ここ数年の登山道具の進化にはめざましいものがあります。登山道具は命にかかわるものですのでしっかりした道具を揃える必要があります。

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「行く前は、そこはきっと汗臭い男の世界なんだろう、と思っていた。けれども、ちょうど登山ブームの始まりの頃でもあり、女性の姿もたくさん見られた。噂の山ガールたちだ。私より年配の女性の姿もあって安心した。」 

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「まずは靴選び。さまざまな種類があるが、2500メートル級のトレッキング仕様のものが欲しいと伝えると、店の人が何足か出してくれた。履いてみて驚いた。軽くてフィット感があり、当然だけれど、持っていたものとはまるで違っていた。が、値札を見て躊躇した。これが結構なお値段である。三シーズン用で4万円前後、というのは中の上クラスらしいが、こんなに高いのか。」  

多分、最も大事なのは靴選びで、私の登山靴も中級クラス用でしたが値段は2万円前後でした。先日十数年履いていたものから二代目に買い換えました。10回くらい履いてようやく足に馴染みました。

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「ザックには考えさせられた。種類によってとても違いがある。自分の体形にぴったり合うものを探し当てるまでは妥協してはいけない。私も20個ぐらいは試しただろうか。」  

ザックは登る山によってサイズが変わります。私の場合は、ヒマラヤ用、富士山・北アルプス用、丹沢・ハイキング用と数種類買うことになりました。 

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「レインウェアは、やはり主流のゴアテックス。今のところこれに勝る生地はないようだ。上下セットで購入する。」  

レインウェアは、ゴアテックスのしっかりしたものから手のひらサイズに収納できるものがあり、登山だけではなく旅行などにも持って行くことができとても重宝します。

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「ついウェア類に目が行ってしまう。インナーからアウターまで、色も形もお酒落で、機能的なウェアがさまざまにある。くグッズもいろいろあって、見ているだけでボルテージが上がってゆく。そのうち、やはり欲しくなってしまう。ただ、言い訳ではないけれど、ウェアは登山でしか使えないわけじゃない。タウンウェアとしても着ることができる。私の住む軽井沢は、冬場の気温が時にはマイナス20℃近くにまで落ちるので、登山ウェアが重宝している。」  

インナーは、速乾性や保温性など機能的に優れていますので、ちょっとした散歩などでも使えますし、ヒマラヤ仕様のアウターはどんな寒い冬でもこれさえあれば安心です。最近はデザインもファッショナブルになってきていますので、タウンウェアにも使えます。

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「ウェアだけでなくて、持っていると山道具は意外と便利だとも分かるようになった。以前、大型台風に見舞われて、停電が3日間続いた時があった。電気だけでなくガスも使えなくなり、煮炊きをどうしようと途方に暮れていたら、リーダーが押入れの奥からバーナーとコッヘルを出して来た。それで温かい飲み物が作れた。山道具は災害時にも役立つと聞いていたが、まさにその通りだった。」  

幸いひどい災害に遭ったことはありませんが、何かあったらリュックや寝袋、携帯食、携帯トイレなどを引っぱり出せば数日間はなんとかなりそうです。 

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装備を一通り揃えたらトレーニングに取り組むことになります。トレーニングは、筋力と心肺機能の強化だけではなく、装備品を体に馴染ませるという目的があります。著者は、トレーニングの場として軽井沢町の中心にある離山(はなれやま)を選びました。その形状からテーブルマウンテンとも呼ばれている。標高は1256メートル。登山口からの標高差は約250メートル。

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2019年4月17日 (水)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 02この私が山登りなんて

著者が登山を始めるきっかけは、直木賞の候補に挙がった頃、大型犬を飼うために軽井沢に転居したことでした。

「生後3ヶ月の4キロにも満たない幼犬は、とてつもなく可愛かった。その時の私はまだ、70キロにも成長するという大型犬を飼う大変さがまったくわかっていなかった。こんなに暑さに弱いのかと驚いた。」 

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著者は、愛犬のために転居先と決めた軽井沢に向かいました。

「駅の改札口で不動産屋の人と待ち合わせ、車に乗って国道18号線を西に向かった。5分ほど走ったところで、いきなり浅間山が目に飛び込んで来た。目が奪われた。惚れ惚れする美しさだった。雄大な姿は威厳があり、頂上からは白い噴煙が柔らかく立ち昇り、長く伸びた裾野が優雅なラインを措いていた。それはとてつもなく魅力的な風景で、この時、すでに気持ちの半分はここに住もうという気なっていた。」

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浅間山が気に入って軽井沢に移住した200491日の夜8時頃に浅間山が爆発しましたが、大きな被害はありませんでした。

「浅間山を舞台に新聞社から連載小説の仕事が入ったのは、それから一年ほど経った頃だ。」 

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著者に新聞連載小説「一瞬でいい」の話が舞い込み、著者は仕事が忙しいために代わりに、著者の夫(元アウトドア雑誌のライター)と二人の出版関係者、計3人で浅間山へ取材登山に行くことになりました。 

「その日の夕方に帰って来た時の三人の顔を今も忘れられない。久しぶりの登山がよほど楽しかったのか、満面の笑みだ。  そして、思わず口走っていた。『私も登りたい』」 

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それから1ヶ月後、著者の登山デビューとなりました。 

「浅間山は標高2568メートル。頂上の釜山は立ち入り禁止になっていて、すぐ近くの前掛山が最高地点となる (ただ、これを書いている現在(20183月)、噴火警戒レベル2になっていて、前掛山にも入れない)。今回は、夫は犬と家で留守番となり、天狗温泉オーナーの山崎幸浩さんにガイドをお願いすることにした。ひとりでは心細いので、知り合いの編集者たちに声を掛けると7人ばかりが手を挙げたので、みんなで一緒に登ることになった。」 

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初登山では、とても辛い思いをしました。

「ああ、気持ちいい。こんなことなら、もっと早く登っておけばよかった。けれども、それはほんの十分ほどのことだった。すぐに後悔が襲って来た。息が上がり、足が前に出ない。汗が吹き出し、心臓がばくばくし始めた。頑張らなくてはと、自分に気合を入れるのだが、とにかく辛い。そのひと言に尽きる。どうして登るなんて言ってしまったのだろう、と、悔やまれるばかりだ。とりあえずお昼を食べようということになったが、お弁当を広げても、おにぎりが喉を通らない。それほど疲れ果てていた。」 

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そしてギブアップとなりました。

「頂上まで、ここから更に500メートル以上の標高差がある。登れるわけがない…‥・。同行のみなさんには申し訳なかったが、というわけで火山館で下山が決定。これまた下りが辛かった。膝が笑うというのはこういうことなのか。小さな石に蹟いたり、滑って尻餅をついたりと、よたよたの状況で登山口まで戻って来た。家に帰って、お風呂に入ると、後はもう倒れるように眠ってしまった。翌日から始まった筋肉痛と戦いながら、私は決心した。もう、二度と山には登らない。」

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2010年3月に著者の愛犬セントバーナード(95ヶ月)が天寿をまっとうしました。私もずっと犬を飼っていますが、愛犬を失った喪失感の大きさはわかります。  

「やはり喪失感は深かった。そんな私を見かねたように、夫が言った。「浅間山に登ってみないか。登れるところまででいい。しんどかったら途中で戻ろう」

「山には二度と登らないつもりだった。あんな苦しい思いをするのはもうたくさん。ところが、どういうわけか気が付くと『登る』と答えていた。その苦しさを味わいたかった。息をゼイゼイさせ、心臓をばくばくさせ、何も考えられない限界にまで自分を追いつめたかった。でなければ、ルイを亡くした喪失感から逃れられなかったのだ。」 

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「そして、目指すのが頂上ではないということも気持ちを楽にしてくれた。また登りたい。どうしてそんな心境になったのか、自分でもうまく説明がつかない。ただ、疲れと筋肉痛と戦いながら、頂上からはどんな景色が眺められるのだろう。どんな気持ちになるのだろう。そんな好奇心に包まれた。同時に「こんな私でも、頑張れば、もしかしたら頂上に立てるかもしれない」という、ささやかな野望が芽生えていた。山に目覚めた瞬間だった。」  

山歩き愛好家が増えてくるにつれて、なにがなんでも頂上を目指すサミットハンターだけではなく景色を眺めながら山歩きを楽しむトレッキング愛好家も増えてきました。 

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2019年4月14日 (日)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 01プロローグに代えて

 

ここ数年女性の山への進出にはめざましいものがあります。とりわけ女性のタレントや作家が山に登っている姿を目にすると、あれっ! こんな人もと思ってしまいます。

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唯川恵さん(以降敬称略)の「バッグをザックに持ち替えて」は、登山入門書的な要素をもちながら、最後はエベレスト展望台といわれるカラパタール(5643m)にチャレンジします。カラパタールはエベレスト街道の終点(もう一つはエベレストベースキャンプ)で、私も挑戦した山(現地では山というよりは丘なのですが)でしたので当時の苦闘を思い出しながら楽しく読みました。(本文中「 」の部分は本書より引用したものです。 

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唯川恵の本はあまり手にすることはありませんが、恋愛小説の名手といわれる作家であり、あれっ! こんな人も山に登っているんだと思った一人でした。

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「ネパール・カトマンズのトリブバン国際空港は、独特のスパイスの香りがした。」 

(画像は201211月カトマンズ国際空港の入国審査) カトマンズの国際空港は、あまりきれいではなく賑やかで猥雑で何がどうなっているかわかりにくい空港で最初は戸惑いましたが何回か利用しているうちに慣れてきて、居心地の良ささえ感じるようになりました。カトマンズの賑やかや猥雑さが凝縮されたような場所でした。

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2015929日午後12時半過ぎ。羽田から、バンコクでのトランジットを含めて13時間近くかけての到着だ。モンスーン(雨季)が明けるかどうか微妙な時季だったが、有難いことに快晴で、気温は27℃くらい。想像していたより高めだったけれど、標高1380メートルの地は空気が乾燥しているので心地いい。」 

ヒマラヤに入るときや出るときには大抵バンコクでトランジットします。日本の空港ではあまり見ないお坊さんの姿にタイが仏教(94%)の国であることを思い出しました。

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ヒマラヤに行くときはバンコクで一泊することが多く、ブラブラ街歩きするのも楽しいものでした。 

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「旅の目的は、エベレスト街道トレッキング。目標は標高5545メートルのカラパタールである。カラパタールは富士山より1700メートル以上高い。さらにいえば、エベレストのベースキャンプより200メートル高い。そこまで約12日間かけて登る。」 

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「なぜカラパタールかというと、世界最高峰8848メートルのエベレストがいちばん美しく眺められるからだ。そう、世界最高峰のエベレストを一目見たい。その思いで立てた計画だった。」 

山登りをしている人の究極の願望はエベレスト登頂だと思うのですが、私たち素人にとってはせめて間近にエベレストを見たい。著者も私も。

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エベレストに少しでも近づきたいと、エベレスト街道のスタート地点(2860m)からエベレストの展望台カラパタール(5545m)を目指して1014日くらいかけて苦しい思いをするのです。 

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「初めて訪れたカトマンズは異国情緒たっぷりで、人々の活気といい、街の雰囲気といい、魅力に溢れていた。」 

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「長い時間をかけて到着したのだから、その夜くらいは少し羽目を外したい気持ちもあったが、トレッキングは明日から始まる。体調を整えておかなければならない。早めにホテルに入って、簡単な夕食をとり、とりあえずお風呂に湯を張った。明日から12日間、お風呂はない。潔癖症でも何でもないが、それだけ長くお風呂に入らないのは初めてだ。いつもより、ゆっくり浸かった。」 

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「それから荷物の整理。自分のザックに入れるもの、ゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が運んでくれるダッフルバッグ(容量が100リットルを超えている)に入れるものを分ける。」 

日本からはスーツケースで出発し、ホテルでは一週間前後のトレッキングに必要な荷物をダッフルバッグに移します。ダッフルバッグはポーターやゾッキョに運んでもらいます。自分が運ぶ水や着替えなどはリュックに詰めてできるだけ身軽な格好でトレッキングします。 

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「明日は早朝5時起きで、小型飛行機に乗り、トレッキングの始まりとなるルクラという小さな町に向かう。」 

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ルクラへの飛行機は16人乗り。 

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パイロットが世界一嫌がるというルクラ空港に無事に到着するとほっとします。

「眠らなければと思うのだが、興奮と緊張でなかなか寝付けない。今更ながら、考えてしまう。その年の2月に還暦を迎えた私が、まさかエベレスト街道を歩き、5000メートル級の山に登ろうとするなんて考えてもいなかった。私自身、不思議に思う。どうして私は、山登りをするようになったのだろう。」 

私も初めてのヒマラヤは60代半ばでしたし、しかもカミさんと二人きりの個人トレッキングでしたのでとても不安でしたが、ヒマラヤへの憧れはどんな不安よりも強いものでした。著者の気持ちは痛いほどわかります。

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2019年4月12日 (金)

旅の空2007年 四国巡礼 24徳島のお遍路さん

たくさんのお遍路さんと行き交いました。一口にお遍路さんといっても、歩き遍路、自転車遍路、マイカー遍路、観光ツアー遍路と様々です。やはり一番多いのが、観光ツアー遍路です。 

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歩き遍路は、年間3000人くらいいるそうです。団塊世代、熟年世代が一番多く、次に若者です。  

平均すると一日10人前後の人が全国から集まってきて同時スタートし、同じような行程を歩きますので、同じ宿に同宿したり、札所や遍路道で会ったりしますのですぐに顔なじみになります。

しかしあまり立ち入った話しはしませんし、名前を名乗ることもありません。せいぜい出身地を教え合うくらいです。  

歩くペースも一緒になったり、後になったり、先になったりマイペースです。  

心地いい人間関係です。

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一番頭を悩ますのが宿泊先です。私は、1泊目宿坊、2泊目旅館、3泊目本物の温泉ホテル、4泊目ビジネスホテル、5泊目民宿、6泊目山小屋風畳敷きホテル、7泊目ビジネスホテルでした。各施設には、大変な格差があり、その格差が面白いといえば面白いのですが。遍路旅は、原則、相部屋覚悟(相部屋になったことはありませんでした)の民宿と思っていた方がよさそうです。それ以上の宿泊施設があれば儲け物というぐらいに考えた方がよさそうです。

見ず知らずの人と飲食を共にするということは、かなり気を遣いますから、精神的にもタフさが必要だと思いますし、実際そういう人が歩いているようです。

とりあえず、4県のうち1県を巡り、参拝の儀式も、「遍路転がし」も、遍路道も、お遍路さんとの付き合い方も、宿泊施設も一通り体験しましたので、次の高知県「修行の道場」が楽しみです。 

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2019年4月 9日 (火)

旅の空2007年 四国巡礼 23徳島最後の晩餐

5/16(水) 阿波徳島の最後の霊場23番札所薬王寺に参拝し、この日は徳島駅へと移動しました。

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小高い丘の中腹に見えた薬王寺への道は商店街を抜け、坂道を緩やかに上った先にありました。

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阿波徳島最後の霊場23番札所薬王寺に着きました。このお寺は、厄除けで有名ですし、徳島最後のお寺ですので、ここまでの無事を感謝し、よくお参りしました。ご詠歌は、“皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ” 。

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山門を抜けて本堂に出ました。

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本堂ではお遍路さんが熱心に経を唱えていました。

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薬王寺は、厄除けの寺院として全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から「瑜祇塔(ゆぎとう)」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段からなっています。 

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石段に登った先にある本堂と瑜祇塔(ゆぎとう)。歩いてくるときに見えた独特の建物は瑜祇塔でした。この塔は(高さ29m) 昭和38年9月に弘法大師が四国八十八ヶ所の霊場を開創してからちょうど1150年に当たり、また、翌40年は高野山開創1150年に当たるのでこれを記念して建立されたものです。小野小町の盛衰を描いた「九想図巻考証」など、国宝級の宝物が展示されています。

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薬王寺の参拝を終えて、徳島駅に戻るためにJR日和佐駅に向かいました。ここには道の駅が併設されていて、足湯がありましたので、7日間の足の労をねぎらいました。よく頑張ってくれました。

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道の駅にはスダチのソフトクリームがありましたので、久しぶりの味を楽しみました。日和佐駅からJRで徳島駅に戻って一泊し、17日、木曜日の早朝便で戻る予定です。

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徳島で最後の夕食は、昭和一桁生まれ(お年を公開してはいけないのですが)の岩手県宮古市から来ていたShimazakiさんと居酒屋でご一緒させていただきました。Shimazakiさんとは同じ宿で2回、霊場で2回、道中で1回出会い、最後に徳島駅前でもばったり出会いました。大先輩ですが、ほとんど同じ行程を歩かれ、元気な方で、こちらも元気をいただきました。とりあえず乾杯をしました。遍路の思い出話に花が咲き、大いに盛り上がりました。

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居酒屋のオヤジさんも話しに加わっていただき盛り上がりました。いろいろな人との出会いに感謝ですが、足を痛めることもなく、トラブルに遭うこともなく、雨に降られることもなく、快適にウオーキングできたことも感謝です。

1番札所霊山寺を出発して23番札所薬王寺まで、阿波徳島「発心の道場」の23霊場を巡りました。210kmのうち実際に歩いた距離は1日平均17km、合計118kmでした。3ヶ所の「遍路転がし」もクリアすることができました。次の「修行の道場」高知県も楽しみになりました。

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2019年4月 6日 (土)

旅の空2007年 四国巡礼22二十二番平等寺

5/16(水) 阿波徳島「発心の道場」の最終日となりました。この日の目的地二つの霊場まで歩くと37kmになるのですが、ガイドブックに従って22番札所平等寺まではバスで移動しました。 

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早朝のバスで移動して22番札所平等寺に着きました。白衣を着た遍路姿でバスや電車に乗るのも少しずつ慣れてきました。

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平等寺は人々が平等であるようにと弘法大師が41歳の時、名付けたお寺です。本堂の階段下には万病に効く「弘法の霊水」が湧き出ていて参拝の際には飲むこともできるそうです。ご詠歌は、平等にへだてなきと聞くときは あら頼もしき仏とぞみる 。

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本堂への石段の麓に弘法大師が立っていました。

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本堂では経を唱えている先着のお遍路さんがいました。私と同じ年頃のようでした。

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大師が平等寺で修行の折、空中に五色の霊雲がたなびき雲の中に金色の梵字が現れ薬師如来の尊像に姿を変え、たという言い伝えがあり、本尊は薬師如来になっています。

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本堂の天井にはたくさんの草木を描いた天井画がありました。随分長い年月が経っているはずなのですが、今でも鮮やかな色彩を放っています。

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次の札所に向かう途中、外国人のお遍路さんが民家の庭先でテントを張っていました。持ち主の許可を得て(これも御接待)いるとのこと。

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次の霊場23番札所薬王寺までは15kmで、まだかなり距離はありますが、楽しみながらと言い聞かせながらのテクテクでした。

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カニが道を横切るということでしょうか、海が近いようでした。 

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今日の歩行距離は19kmで、楽しみにしていたのは今迄は山の中が多かったのですが、高知に近づいて海沿いを歩けることでした。

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薄曇りのため、碧い空青い海というわけにはいきませんが、陽射しがないぶん歩き易いのです。試しに砂浜に降りるとリュックの重みで靴が砂浜に沈んで歩けたものではありませんでした。

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高知県は太平洋に面しています。途中、太平洋に削られてポッカリと口を開けた「えびす洞」があり、久しぶりの磯の匂いを嗅ぎました。

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道端の廃バス善根宿です。善根宿は修行僧や遍路、貧しい旅人などを無料で宿泊させる宿で、宿泊させることは自ら巡礼を行うのと同じ功徳があるとされご接待の一種です。納屋、倉庫等を改造した善根宿やバス等を改造した善根宿があり、中にはシャワー、キッチン等を備えた快適な善根宿といろいろあります。 

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海から離れて暫く歩くと小高い丘の中腹に貼り付くように建っている徳島最後の23番札所薬王寺のシンボルが瑜祇塔(ゆぎとう)遠望できました。とても目立つ独特の建物でした。 

薬王寺がある日和佐町にある廃バス利用の善根宿は、ドライブインの経営者の提供によるもので、歩き遍路の中でも野宿中心に歩いているお遍路さんには重宝されているとのこと。

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2019年4月 3日 (水)

旅の空2007年 四国巡礼 21鷲の里

5/15(火) 二つの「遍路転がし」を越え、21番札所太龍寺からはロープウェイで一気に下りました。この日は太龍寺山の麓にある「鷲の里」で宿泊しました。

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太龍寺山(618m)は弘法大師空海が修行した山として知られ霊山です。多くの歩き遍路が標高差500mを歩いて下るのですが、前日見た新聞では4人の歩き遍路が遭難したとのことですし、ガイドブック(無理をしないというのがコンセプト)に従ってロープウェイを利用することにしました。

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弘法大師空海は19歳(793年)の時、ここ太龍寺山で百日間にわたり「虚空蔵聞持法」を修法したと伝えられています。ここ太龍寺と室戸岬(御蔵洞)は大師の思想形成に重要な役割を果たしたといわれています。現在でも大師は太龍寺山の断崖絶壁「舎心ヶ嶽禅定」に座っています。19歳でこんな厳しいところわ切り開いたわけで、大師はとてつもない人です。

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太龍寺ロープウェイは全長2,775mで日本で最長、山・川を越える珍しいロープウェイです。ロープが延びた先にはこの日宿泊する鷲の里が小さく見えていました。

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太龍寺のロープウェイを降りたところがホテル鷲の里で、道の駅ともなっていました。ホテルのフロントらしきものがあり、ダルマさんがいました。フッと気持ちが和む雰囲気のホテルでした。

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部屋に入って先ずはこの日も頑張ってくれた菅笠と金剛杖を床の間に丁寧に置くと、一日の遍路が終わりました。

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ホテルと称していますが、畳敷きの和室で今まで宿泊した宿坊のようでした。畳に大の字になって目をつぶってこの日の行程を思い出し、この日も無事であったことを感謝しました。

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ホテルのロビーにはこの里のシンボル鷲の木製の置物がありました。

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天然温泉で汗を流した後、周りを散策してみました。太龍寺山の麓にあるここ鷲の里は山と川に囲まれた素晴らしいところです。鷲の里といわれるだけあって、碧い空には鷲が舞っていました。

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鷲の里を流れる那賀川は、徳島県内では最も長い川で、「最も良好な質」として清流四国一に選ばれたきれいな川です。河原に下りてみると、夕暮れ時の風がとても気持ちよく感じました。 

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上を見上げますと青い空にロープウェイが浮かんでいました。ロープの先の山頂が太龍寺です。

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散策の帰りに道の駅鷲の里に寄って、蔵出し原酒というコピーに誘われて般若湯を買いました。ホテルの厨房で冷やしてもらいました。

四国八十八箇所は、空海の足跡を尋ねる旅ですが、いくらガイドブックによるオススメとはいえ、すんなりロープウェイに乗るなんてバチ当たりですし、とか言いながら、般若湯を買ってしまうなんて、さらにバチ当たりです。飲んでしまわないと明日の荷物になりますので、ホテルの厨房で冷やしてもらうなんて、おおバカものです。しかし健康を呼ぶ酒!四国八十八箇所と書いてありますので、御利益も期待したのですが。

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2019年4月 1日 (月)

さくら いろいろ

毎年4月1日は京都で花見と決めていたのですが、今年はいろいろな用件が重なって叶うことはできませんでした。この時期になると桜前線が日本列島を北上して各地で目を楽しませてくれます。この10年あちこちで桜を目にしました。そんな桜を振り返ってみました。

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2010.4.24今まで何回となくご紹介してきた写真ですが、最も印象深く思い出すのは、日光から仙台まで浜街道を歩いたとき見かけた南相馬市の福島県営運動公園で行われていた高校生の陸上競技大会でした。見事な桜の下、躍動する高校生たち、翌年2011.3.11の東日本大震災で彼らや家族や友達はどうなったのでしょうか、無事で元気でいることを祈らずにはいられません。

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2010.4.24 やはり浜街道歩きで出会った福島県富岡町の “夜(よ)の森公園”の桜も見事でした。富岡町は桜の里として知られていて、毎年人々の目を楽しませてくれていたのですが、翌年の東日本大震災による福島原発事故によってこの桜は誰からも見られることなく、毎年な花を咲かせています。数年前防護服を着た数人の役所関係の人が見回っているTV映像を見ました。桜を見上げている防護服の姿がとても痛々しく感じられました。

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2010.4.24 浜街道を北上して宿泊した南相馬市はそれはそれは美しい町でした。宿泊した宿も女将さんも素晴らしくとてもいい思い出が残っているのですが、東日本大震災で町は空っぽになりました。小高川堤防の桜は今年も花を咲かせていると思いますが、あの美しい町が・・・と思うと辛くなります。 

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毎年京都で花見をしようと思い立ったのは、2007.4.1旧東海道を歩いていて京都三条大橋にゴールしました。晴れがましい気持ちでいたのですが、同時に仕事で最も信頼していた仲間の訃報に接したのも同じ日でした。高瀬川にハラハラと落ちる桜が華やかであればあるほどもの悲しく感じられました。 

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悲しい思い出だけではありません。2017.4.6 大学ゼミの京都での同窓会では、訪れた醍醐寺で最高の桜の下、満面の笑みでした。とても思い出深い写真です。

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2018.4.2 京都にはたくさんの桜の名所がありますが、醍醐寺の桜が一番見事ではないかと思っています。昨年訪れた醍醐寺の大地に根を下ろした古木も見事でした。

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2016.4.1 琵琶湖に面した長浜市は気に入っている町で何回となく行っています。湖畔には秀吉が築城した長浜城があり、長浜城がある豊公園の桜が満開でした。この日は雨で訪れる人もほとんどなく、ひっそりと眺めた桜が印象的でした。

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2016.4.10 鳥取市から来た知人のリコピンとのんちゃんが東北の温泉に入って、桜も見たいということで会津若松城(鶴ヶ白)を案内しました。戊辰の戦役で新政府軍の猛攻を受けましたが籠城一ヵ月、落城しなかった名城です。凜々しい姿と満開の桜がマッチしていました。

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2014.4.15 福島県三春町は敬愛する田部井淳子さんの生まれ育った地です。最近田部井さんの本を何冊か読んでいて改めて凄い人だったんだと思っています。「三春滝桜」は満開直前でしたが、風雪に耐えること千年、樹齢千年とのこと。

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2014.4.15 福島県福島市の花見山公園に行きました。そこには皇太子妃雅子様にちなんだ「雅(みやび)」という桜の新種が咲いていました。花の色は濃く、花びらは気高く、存在感がありました。間もなく雅子様は皇太子妃から皇后陛下におなりになります。お健やかにとお祈りします。

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2018.4.4 わがホームグランドの丹沢は、紅葉だけではなく桜も楽しめます。豆桜という品種で、小さな蝶が舞っているような可憐な花びらを咲かせます。

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2018.4.28丹沢の桜は、麓から少しずつ高度を上げて咲きます。4月も下旬になると富士山を見ることができる場所で桜が花開きます。富士山とシーズン最後の桜がオーバーラップするようになると間もなく目に沁みるような新緑の季節がやってきます。

桜の思い出は、楽しく華やかな思い出もたくさんありますが、悲しい思い出もあります。桜が華やかであればあるほど悲しみは深くなります。ものの哀れを感じてしまいます。パッと咲いてパッと散る桜だからこそ感じることかもしれません。

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