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2019年5月29日 (水)

丹沢登山紀 5月 山のガイド

5/24(金) 前回から中4日で今月4回目となる丹沢登山に出かけました。丹沢登山は日常のサイクルに組み込まれ、散歩の延長の山歩きのようになりました。

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5/21(火)は、台風のような暴風雨が荒れ狂ったのですが、その後は真夏日の連続となりました。この日も陽射しは強かったのですが、朝早い時間帯ですと空気がまだヒンヤリとしていて、樹林の隙間から流れ込む風はヒンヤリと心地よく感じました。

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緑はますます濃く、深くなりましたが、歩きにくい道に疲れて頭を上げれば、チラチラとツツジの紅が眼に入って、緑とのコントラストが鮮やかでした

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強い日射しを浴びて金色に輝いているのはキンラン(金蘭)で、春の里山の代表的な蘭の一種です。手入れの行き届いた雑木林で見られる貴重種です。何回も丹沢に通っていますが初めて見ました。 

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こちらの白い蘭はギンラン(銀蘭)で、白色の花を銀色に見立ててギンランといわれています。キンラン比べると小ぶりで地味です。蕾のような状態で、あまり花は開かないそうです。咲いている姿は、儚げです。

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男性1人と女性2人のシニア3人組は、年中を顔を合わせる常連さんです。普段見落としている花や木があると親切に教えてくれますのでガイドのようでありがたい存在です。 

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表尾根コースの稜線もすっかり緑色に染まり、緑と青空のコントラストが夏山の到来を告げています。

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シニア3人組が待っていて教えてくれたギンリョウソウ(銀竜草)は、とても珍しくて全体が白色で葉緑素をもたず、光合成をしないとのこと。薄暗い林の中に生えている姿からユウレイソウともいうそうです。自分にはとても発見できない珍しい花でした。 

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赤紫色のミツバツツジは雄しべが5本。同じような色のトウゴクミツバツツジは雄しべが10本とか。近くで見ることができずどちらの種類かは分かりませんでした。

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オレンジがかった赤い花びらのヤマツツジ。緑色とのコントラストがきれいなのですが、今年はツツジ系のできがよくないとか。ツツジ系は4年~5年に一度きれいに咲くそうです。昨年はきれいでした。

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富士山の上には気持ちいい広い青空がありました。これから夏に向かって、登山には厳しい暑さとの戦いの時期になります。黒い斑点は小さな虫? 

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日陰がある樹林地帯を抜けると、登りのキツさと陽射しの強さに汗ビッショリとなりました。  

親切なシニア3人組はあまり口をきいたことはないのですが、山や草花のことをよく教えてくれます。困るのは、とても健脚ですのでついていくのが大変なのです。 

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2019年5月26日 (日)

丹沢登山紀 5月 山ガール

5/13(月) 今月3回目となる丹沢登山はあまり天気のよくない山行きでした。 

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1ヶ月間の天気予報によると、天気のよくない日が続き、この日は陽射しが期待できる貴重な一日ということでしたので、前回(5/8)から中4日でしたが出かけたのですが、登り始めて間もなく靄が発生しました。緑も靄に包まれて淡い色合いとなりました。 

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登るにつれて靄は濃くなりました。青空にも富士山にも目を奪われないこんな日は、黙々と自分の世界に入っての山歩きとなりました。一歩一歩かみしめるように足を上げて、さまざまな事を考えながら登るのもそれはそれで楽しいのです。 

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花立山荘まで登ったときには霧雨となりましたのでそこから引き返しました。皮肉なことに下山するにつれて靄は消えて、心なしか緑が濃くなったような気がしました。

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5/19(日) 日曜日は込みますのでできるだけ避けているのですが、沖縄で梅雨入りし、関東地方もいつ長雨に突入するかもしれませんので、雨が降りそうもないという天気予報に誘われて今月4回目となる丹沢登山に出かけました。臨時増発バスが出たほどの登山客がいたのですが、いつの間にかばらけて人影はあまり見かけなくなりました。

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緑は深みを増して、緑の色素が降ってくるようで、いつまでもこの下で佇んでいたくなるようでした。

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天気予報は曇ということでしたので、予想通り青空を見ることができませんでした。花立山荘手前のこの急坂を登ったところで引き返しました。

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下山しながら眺めた景色はどんよりとした分厚い雲に覆われていましたが、これからの時期は雨に遭わずに山歩きできるだけでも御の字です。

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登山口から最初の休憩所(観音茶屋)で何となく挨拶をして、山頂までの時間を聞かれたり、「丹沢名物の蛭(ひる)は美人にしか食いつかないよ」という冗談を言ったら、感度のいいリアクションがあったりして楽しく話した3人組の山ガールはとても楽しく賑やかでした。

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丹沢は初めてということでしたので、どこまで登れるかなと心配していたのですが、私が花立山荘から下山するとしばらくして賑やかな声が聞こえてきました。お喋りしながらもまあまあの健脚ペースで登ってきたようです。写真を撮らせていただいたら、1枚目と2枚目それぞれポーズを決めてくれて、とても楽しい人たちでした。天気はどんよりとしていましたが、かなり賑やかな登山になりました。

 

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2019年5月23日 (木)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 11淳子のてっぺん

著者(唯川恵)がこれからどんな小説を書いていこうか思い悩んでいるときに地方新聞連載の依頼が来ました。何を題材にすればいいか考えた末に、頭に浮かんだのがひとりの女性の人生、頭に浮かんだのは田部井淳子さんでした。

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1975年、女性登山家として世界で初めてエベレスト登頂を果たした田部井さん。男の世界だった登山界で素晴らしい功績を残していらっしゃる。その登山パーティが女性だけで構成されているのにも心惹かれた。女の世界、というだけでどんどん想像が膨らんでゆく。」

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田部井さんはエベレスト初登頂の後も、女性初七大陸最高峰登頂を含め、初登頂、初登攀の記録を数多く重ねました。その功績により、国内外の勲章、栄誉賞、功労賞などの受章(賞)歴も数知れないのです。

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活動は登山だけにはとどまらず、第二の故郷であるネパールでのゴミ焼却炉の建設や、リンゴの植樹などを始め、世界の山岳環境保護問題に深く関わられました。 

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また、東日本大震災に遭った東北の高校生たちを「日本一高い富士山の山頂に立たせてあげたい」との思いで、イベントを続けてこられました。 

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「まったくレベルは違うが、私も山に登り始め、その魅力を知るようになった。田部井さんの半生を書くことができたら――。しかし、そのような方に小説のモデルになって欲しいと申し出るのは失礼ではないか。ましてやノンフィクションではなくフィクションで書こうというのだ。小説となれば虚実とりまぜになる。自分の人生を他人に勝手にあれこれ脚色されるのはいい気分ではないはずだ。」  

著者は、夫の登山仲間を通じて田部井さんと直接会うことになりました。  

「初めてお会いした時はびっくりした。想像していた以上に小柄な方だったからだ。こんな小さな身体で、世界一高いエベレストに登られたのかと、俄かには信じられなかった。しかも『あらあら、いらっしゃい』と、笑顔で気さくに声をかけてくれる姿は、私の抱いていたタフで男勝りというイメージとはだいぶ違っていた。」 

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「世界記録を持つ登山家というよりも、故郷の気さくなおかあさんといった雰囲気だった。田部井さんをモデルに小説を書かせてもらえませんか。おずおず話を切り出すと、田部井さんは戸惑われたようにしばらく目を丸くされた。断られる覚悟はできていた。諦めていたので、後日『どんな淳子になるのか、私も楽しませてもらいます』と、連絡をいたただいた時はどんなに嬉しかったろう。 そして私は田部井淳子さんの半生を措く小説『淳子のてっぺん』を書くことになった。」 

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「驚くことに、今、エベレストには年間数百人もが登頂を果たしている。公募ツアーがあって、専門のガイドや手続きなどの準備も、旅行会社がすべてセッティングしてくれる。もちろん、8848メートルは、誰もが登れる山でないことはわかっている。高度障害と戦わなければならないし、登攀技術も必要だ。しかし、ほとんど情報がなかった田部井さんの時代と比べると、エベレストの山頂が格段に近い存在になったのは確かだ。」

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43年前、田部井さんたちの登山隊が登った時は、一シーズンに一組しか入山が許されなかった。何年もかけて計画を練り、登山の許可が下りるまで何年も待つ。許可が下りたら、メンバーを集め、遠征のための手続きを踏み、装備や食料を準備し、長いキャラバンを経て、足跡ひとつないルートを拓きながら頂上に立ったのである。」  

画像は、栗城史多(くりきのぶかず)氏が20185月に8回目のエベレスト登山の許可証を受けたときのもの。彼はその登山で、エベレストの7300m付近で登頂を諦め下山の際に、6600mあたりの崖の下で死体で発見されました。 

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「装備もまったく違っていた。軽量コンパクトで機能的な今とは較べ物にならないほど、重くて大きくて、頼りなく、使い勝手も悪かった。酸素ボンベひとつ取ってみても、重量は今の約二倍、一本7.5キロもあったという。それを二本ザックに入れて登るのだ。それが田部井さんの時代では当たり前だった。」   

画像は、2011428日にネパール・ポカラの国際山岳博物館を訪れたときのものです。館内の田部井さんのコーナーには、田部井さんが女性世界初のエベレスト登頂を果たしたときの衣服や道具が展示されていました。現在の登山道具に比べて、重そうで非機能的なのにビックリしました。

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「今のエベレストをどう思いますか、と尋ねた時、『頂上から見るあの素晴らしい風景を、多くの人が見られるのは喜ばしいこと』と、仰った。それから『でもね、あの時代に登れたのは幸運だったと思うのよ。何もないから、何もかも自分たちでやった。その充実感、達成感は、あの時代でしか味わえない。もう、したくてもできない山行だもの』と、続けられた。

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「田部井さんとは、その後も何度かお会いするチャンスに恵まれた。ご主人が同席してくださったこともあった。娘さん、息子さんともお会いした。2016年の7月、講演のために軽井沢にいらした田部井さんと、夕食をご一緒した時のことは貴重な思い出だ。病気のために少し痩せられてはいたが、いつもの穏やかな笑みに変わりなかった。」  

田部井さんは、闘病生活に入っていましたがそれでも登山はやめませんでした。 

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「すでに小説は後半に入っていて、エベレスト登攀に向かってキャラバンを続けるシーンを書いていた。実はその時、私はどうしても聞きたいことがあった。途中、隊長が突然帰国してしまう事件である。これは当時、大きなニュースになった。新聞にも週刊誌にも記事が載った。その理由が知りたくて、どうしても田部井さんに聞きたかった。その話を切り出すと、田部井さんは少し困ったように表情を曇らせた。」

「『ごめんなさいね、それは言えないの。お墓の中まで持ってゆくと隊長と約束したから』 落胆がなかったとは言わない。けれどもそれ以上に、田部井さんの筋の通し方に感動していた。40年以上たった今も、約束はたがえない。その姿勢に惚れ惚れした。 『では、そこは想像で書かせてもらっていいでしょうか』 『小説なんだから、そうしていいのよ』が、今も耳に残っている。」

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「亡くなられたのはそのひと月半後だ。77歳だった。最後まで笑顔を絶やさず、周りを慮り、力強く生きられた。今はもう、エベレストの頂上より高いところに行ってしまわれた田部井さん。そこから何が見えますか。ご冥福を心からお祈りいたします。」  

改めてすごい人だったんだなあと思います。ご冥福をお祈りいたします。

 

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2019年5月20日 (月)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 10富士山は、登る山か眺める山か(後半)

著者たち一行7人は無事に八合目(標高3100m)の山小屋に到着しました。富士登山の正念場はここからです。著者の富士山登頂記は、今まで登ったことのない人には参考になることが多いと思いますので、前回同様できるだけ原文を掲載します。(画像は私の富士山登山記から転載しました) 

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「山小屋の広間に行くと、小屋の人が言った。『頂上近くの登山道は、ご来光目当ての登山客ですごい渋滞を起こしている』 気温は五℃。頂上付近はもっと低い。立ち止まったまま待っているのは寒さが身に染みる。それに、どうせ頂上は満月でご来光は見られない。ということで出発は午前三時に変更となった。」  

(画像は頂上直下での渋滞) 一度だけ山頂でご来光を仰ぎましたが、すごい渋滞と山頂で日の出を待つ間の寒さでもうこりごりとなり、以来ご来光は時間をずらして登山途中で仰ぐことにしました。 

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「登山道は東に向いているので、ご来光はどこででも眺められるという。せっかくなら頂上で迎えたかったが、それも仕方ない。寝不足はあるものの、体調はいい。朝食も頑張って全部食べたし、シャリバテ(血糖値の低下)の心配もない。これなら行ける。やる気まんまんで、午前3時、防寒用ウェアを着込み、毛糸の帽子を被り、ヘッドランプを点灯して、山小屋を出発した。」  

am02:30起床、03:00出発の第一陣、山頂でご来光を見たいという人たち(宿泊客の9割くらい)が出発した後の山小屋は嘘のように静かです。

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「ところが30分ほど登った頃から、どういうわけか、だんだん気分が悪くなってきた。朝食が胃にもたれてムカムカする。しばらく我慢したが、だんだん気分が悪くなって来た。本八合目(3370メートル)まで来て、とうとう足が止まった。駄目だ、吐きそう…‥・。私は言った。『これ以上、登れそうにないので登頂は諦める。私のことは気にしないで、みんな登って来て。帰りは下山道に合流するところで待ってるから』」  

最も辛く思うのは本八合目です。 “本八合目 胸突き八丁” という看板があり、毎回ここから上を見上げると胸がつぶれるほどの圧迫感を感じました。霧で見えない上の方は、霧が晴れてくるとまるでのしかかってくるようで、思わず怯んでしまいます。

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「結局『とにかく、いったん休もう』ということになり、メンバーたちには申し訳なかったが休憩タイムとなった。私のこの気分の悪さは、やはり高山病の症状のひとつだったようである。どこかで舐めていたのかもしれない。やはり寝不足があったのだろうか。朝食を一気に食べて胃に負担がかかってしまったのだろうか。今更ながらだけれど、反省点がいくつも浮かんだ。」

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「ぐったりしながらベンチに座っていると、徐々に東の空が明るくなって来た。」

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「群青色の空が少しずつ朱に染まり、空全体が紅く燃え上がってゆく。やがて太陽が海から顔を覗かせた。ご来光だ。光が一直線に伸びて来て、顔を照らしてゆく。ああ、なんて椅麗なんだろう。うっとり眺め入っていると、山小屋の人が出て来て言った。『今シーズン最高のご来光だ』 バテバテの私の気持ちを盛り上げようとしてくれたのかもしれない。頂上には登れなかったけれど、ここでこんなに素晴らしいご来光を見られたのだから、本八合まで来た甲斐があったではないか。私は十分に満足していた。」

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「ご来光を見物後、メンバーたちはザックを背負った。すっかり戦意を喪失していた私は、もちろん彼らをここで見送るつもりだった。それなのに、リーダーは『さあ、行くぞ』と私を促す。もちろん、私は首を振った。 『とても登れない、合流地点で待ってる』 『大丈夫。太陽の光を浴びているうちに元気になる。必ず頂上まで登れる』と言うのである。太陽の光を浴びたら元気になる? まさか。 『行くぞ』」

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「一時間かけて九合目へ。頂上まであと少し。傾斜がきつくて息が切れる。足場が悪くて足の筋肉がばんばんに張っている。もうすぐ、とわかっているけれど、それが実に長い。ようやく鳥居が見えてきた。」 

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「頂上はそれをくぐった先にある。そして、とうとう山頂に到着。 『やった……』と、私は気の抜けた声を出すのが精一杯だった。」 

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「幸運にも頂上は快晴で、素晴らしい景色を眺めることができた。駿河湾、伊豆半島、樹海が広がり、河口湖や山中湖もはっきり見えた。目を凝らせば、道路に車が走っているのも見てとれた。メンバーたちと写真を撮り合ったり、おでんを食べたり、お土産を買ったりしているうちに、すっかり体力も回復していた。探さ200メートルある火口を覗きにも行った。いつかは、火口を一周するお鉢巡りもしてみたい。」 

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著者たち一行がパスした お鉢巡り は富士山の火口(俗にお鉢といいます)を一周するコースで、苦しい思いをした後さらに日本一高場所を時間半~2時間歩くことになりますので体力的にも厳しく、また風が強いと吹き飛ばされますのでなかなか難しいコースです。 

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お鉢巡りは時計回りと反時計回りどちらでもいいのですが、私は両方とも計3回経験しました。2012年のこの時は天気は快晴、無風状態で絶好のお鉢巡り日和でした。時計回りに回り、最高地点剣が峰を通過した後、眼下には伊豆半島が一望でき天空の散歩道を楽しみました。 

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「頂上には一時間ほど滞在し、下山となった。下山道は、登山道とは別ルートになっている。段差が少なく、道幅は広く、岩場もなく、砂利が敷いてある。前へ前へと、単調に足を進めればいいのだから、登りの辛さに較べたら楽勝と思っていた。ところが、それはとんでもない誤解だった。下り始めて30分ほどすると、膝がガタガクになった。」 

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「登りで疲れていたせいもあるだろうが、上半身と下半身の動きが合わず、しばしば腰砕け状態で転んでしまう。また、あまりに長く下りが続くので、靴の先に爪が当たって痛くてたまらない。」  

下れども下れども、うっかりすると滑りやすい砂礫の道を下るのは苦行のようなものです。

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「登りも確かに辛かった。心肺機能が限界を越え、高山病らしき症状も出た。けれども下りはそれとは莫逆の辛さだった。筋肉と関節が悲鳴を上げ、頭がぼんやりしてほとんど思考が巡らない。これが3時間以上続く。五合日登山口に辿り着いた時、どんなにホッとしただろう。すでに足は自分のものではないような感覚だった。お疲れさまでした。掠れる声で、メンバーたちと握手を交わす。登山靴を脱いだら、案の定、両足の親指の爪は内出血で真っ黒になっていた。」  

五合目に着いてみれば、相変わらずの賑やかさです。

富士山は初めてという人何人かのガイドのまねごとをしたことがあります。全員登頂したのですが、下山でダウンした人も何人かいました。ヘロヘロになって動けなくなった人、私の自宅に泊めたこともありました。富士山に登頂したという達成感も、長い長い下山にウンザリして、下山がイヤだから富士登山は二度としたくない人も結構います。

 

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2019年5月17日 (金)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 09富士山は、登る山か眺める山か(前半)

著者も富士山に挑戦することになりました。私は2008年に初登頂して以来、2017年まで24回(何回かは天候不良や体調不良で途中下山)登りました。著者の富士山登頂記は、今まで登ったことのない人には参考になることが多いと思いますので、今回はできるだけ原文を掲載します。(画像は私の富士山登山記から転載しました) 

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(画像は2015.4羽田から福岡へ向かう飛行機からの撮影) 「ある時、富士山に登ろうという話になった。静岡県出身の知人が『静岡県出身なのに、まだ富士山の山頂に立ったことがないんです。一度、登りませんか』と言い出したのがきっかけだ。それを聞いた他の知人も賛同した。私もすっかりその気になった。やはり、日本最高峰・標高3776メートルの頂上に一度は立ってみたい。聞けば、日本で二番目に高いのは南アルプスの北岳で、こちらは標高3193メートル。600メートル近くの差がある。富士山は日本で断トツに高い山なのだ。」 

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「実現したのは、世界遺産に登録(2013年)される前年の八月後半である。毎年、登山者数は30万人前後。それもシーズンの2ヶ月間だけでその人数が登るのだから驚いてしまう。単純計算で、毎日五千人が登ることになる。メンバーは7人。東京から来る彼らは、早朝、新宿からバスに乗り、午前10時ごろに吉田口(スバルライン五合目・標高2305メートル)に到着する。私は出発が軽井沢なのと、メンバーの中でいちばん年上だし体力にも自信がないので、前日入りし、麓のホテルで一泊した。」 

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「到着した日は曇っていて、残念ながら富士山の姿は見えなかった。それでも夜になって雲が途切れ、夕闇の中に美しい稜線が浮かび上がった。登山道に登山者のヘッドランプが列をなしてゆらゆら揺れているのが見える。明日は自分がそこを登っているのだと思うと、ちょっと興奮した。」 

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「翌朝、予定通りに吉田口でメンバーと合流した。吉田口もすでに2300メートルあるので、高度に慣れるため、1時間ほどぶらぶらして過ごすことになった。それにしても登山口前の広場は賑やかだ。レストランや土産物店が何軒もあり、これから登る人、下りてきた人、観光客などの老若男女で大混雑している。外国人もすごく多い。ザックを背負いウェアを着込んだ登山客はもちろん、ハイヒールにミニスカート姿の観光客も混在している。 

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(画像は泉ケ滝の分岐点、ここから傾斜がきつくなる) 「午前11時になって出発した。登山口からはなだらかで、馬や馬車も通る広い道が続いていた。泉ケ滝の分岐点からの登りに入ると、樹林帯が続き、少し傾斜がきつくなった。いやいや、これできついと言ったら笑われるだろう。息が少し上がる程度だ。」  

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(画像は六合目の安全指導センター) 「1時間半ほど歩いて六合目に到着。とはいえ、まだ標高差90メートルしか登ってないと聞かされて、軽くショックを受けた。」 

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(画像は六合目の登山道と下山道の合流地点) 「周りは相変わらずガスに包まれている。天気はイマイチだけれど、その分、涼しい。いや、涼しいどころか、立ち止まっていると肌寒いくらいだ。たぶん地上では30℃を軽く超えているはずだというのにここは別世界だ。水だけはしっかり飲むように、と、リーダーからしつこく言われた。脱水は高山病を招く大きな要因になる。」 

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「樹林帯を抜けるとようやくガスが晴れた。目線を上げれば、登山道が頂上に向かって九十九折に続いている。想像していたより遥か先まで伸びていて、ちょっと不安になった。道は石ころだらけのガレ場で、かなりの斜度だ。とにかく登る。ひたすら登ってゆく。だんだん息が上がり、後から来た登山者に抜かれてしまうが、どうしようもない。自分のペースで登るしかない。」 

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「午後二時少し前、標高2700メートルの七合目に到着した。残念ながら、ガスがかかって景色はほとんど見えない。宿泊予定の山小屋は八合日にある。到着まであと一時間半ほどかかるという。水を飲み、チョコレートを食べ、アミノ酸を摂り、しばし休憩したのち、再び登り始めた。」 

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「この辺りから登山道が狭くなった。岩場の急斜面が続き、登っても登っても登りが続く。はぁはぁと、呼吸は荒くなる一方だ。酸素が薄い。なかなか肺に入ってこない。さすがにメンバーたちもすっかり無口になっていた。」 

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(画像は山小屋と山小屋からの景色) 「午後3時過ぎ、ようやく宿泊する八合目の山小屋(3100m)に到着した人生初の3000メートル超えだ。今日は休憩を含めて4時間余り、標高差800メートル弱を登ったことになる。無事に辿り着けてホッとした。」 

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陽が落ちると、ガスが切れ、富士吉田の街の明かりがきらきら輝いているのが見えた。ああ、こんな高いところに登ってきたんだなあ、と実感した。明日、出発予定は午前一時。ご来光を拝めますようにと祈りながら、七時半には床に着いた。」

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「ところが、これが眠れない。疲れているはずなのに目が冴えている。夜になっても弾丸ツアーとおぼしき登山客がひっきりなしに登っていて、登山道に面している山小屋には足音や話し声が筒抜けだ。うとうとしてすぐ目覚める、を繰り返した。そんな状態のまま午前零時前には起きて、出発の用意を整えた。寝不足で大丈夫かな、と不安になったが「問題はない」とのこと。むしろ熟睡すると、呼吸が浅くなり高山病に確りやすくなるという。」 

富士登山では山小屋に泊まらない弾丸登山がほとんどでしたが、泊まざるをえないときには眠ることは諦め、身体を休めれば十分と思うことにしました。

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2019年5月14日 (火)

丹沢登山紀 5月 目に青葉

5/8(水) 今年20回目となる丹沢登山、天気は快晴でした。

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ゴールデンウィーク十連休が終わり、登山者は少なくかったのですが、緑は深くなり、空気をたくさん吸い込むと葉緑素で身体が甦るようでした。

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富士山の中腹に一筋の雲が流れていましたが、空は真っ青でした。

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この日はほとんど常連さんばかりで、何となくお互いのペースが分かり、自分の体調を測定することができました。この日は前回(5/4)から中3日でしたのでどうかなと思ったのですが、3時間で登頂できまあまあでした。山頂の最後のステップで見上げると桜が花開いていました。

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前回は霞んでいて登っている途中で見えなくなった富士山でしたが、この日は空の隅から隅まで青く、富士山はその下で右にも左にもなだらかな裾野を美しく広げていました。富士山が最も富士山らしい美しい姿をしていました。

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新元号になって、新天皇となり新しい時代になって、スッキリとした富士山を拝みたいと思っていましたので念願が叶いました。 

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丹沢の標高は1600mですので、上高地と同じくらいの陽気です。この日の山頂の気温は7℃でしたから桜もこの時期にようやく目を覚ましたようです。

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密集度が低い丹沢の桜(豆桜)は、一つ一つの花びらがはっきりとしていてそれぞれ愛おしく思えます。  

秋の紅葉の時期も素晴らしいのですが、緑色に染まるこの時期の山歩きは身体の代謝が良くなるような気がします。しかしこれからの1ヶ月間で青空が見られるのは三分の一の確率だそうです。そして梅雨入りとなります。

 

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2019年5月12日 (日)

丹沢登山紀 5月 みどりの日

5月に入って陽気が良くなってきました。それはいいのですが、少しずつ暑さがこたえるようにもなります。 

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5/4(土) ゴールデンウィーク十連休の8日目に今年19回目となる丹沢登山に出かけました。予想通り多くの登山者が集まり、臨時増発バスから降りると、一刻でも早く歩き始めたいと気は急くのですが、靴の紐を締め直したり念入りに準備をして出発です。

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連休中ですので、久しぶりの人も多いようで、最初の急登の階段でため息をついて立ち止まる人も見かけました。まだまだ先は長いのです。これからたっぷりと登りを楽しめます。

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この日の天気は花曇りというのでしょうか、はっきりしない青空で霞がかかったようで、富士山も肉眼で何とか見える状態でしたが、時間の経過とともに姿を消しました。 

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途中、はぐれたような季節はずれの桜が咲いていました。世の中の流れから身を引いているような孤独感が漂っていて、おかしいような哀しいような桜でした。 

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青々とした緑が目に優しく、そういえばこの日は「みどりの日」でした。空気も緑色の色と香りがついているようで、思い切り吸い込めば身体の隅々まで緑色が染みわたるような気分でした。

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この日は午後から用がありましたし、山頂迄行っても富士山は見えないし、花立山荘から引き返しました。登頂しなくても、のんびり歩いて緑の空気を吸っているだけで気持ちのいい山歩きでした。 

花立山荘から山頂までは往復1時間弱ですので山頂まで行ってもいいのですが、さすがに疲労度は1時間分どころではありません。登頂するのとしないのでは、午後の時間の使い方はかなり違ってきます。 

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2019年5月 9日 (木)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 09谷口けいさん

著者が、若くして山で散った女性登山家の「谷口けいさん」と親交があったとは驚きでしたが、著者が作家であることを考えれば交流範囲が広いのでどこかで接点ができるのはありうることでもあります。

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女性登山家の「谷口けいさん」には早くから注目していました。2001年にデナリ(マッキンリー:6193m)に登頂しています。デナリは植村直己が43歳のとき消息を絶った山であり、 けいさん はそれから14年後の冬に北海道・大雪山系黒岳で命を落とすのですが、奇しくも けいさん も享年は43歳でした。あまりにも若すぎる死でした。

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“けいさん は2002年より野口健エベレスト清掃隊、マナスル清掃隊に参加していて、2006年にはマナスルに登頂しています。

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“けいさん は、2007年5月に、野口健さん率いるチョモランマ清掃隊に同行してエベレストに登頂しています。エベレストに登頂した女性登山家は第一号の田部井さん以来10人目でした。(20185月現在、エベレストに登頂した日本人は243人で、そのうち女性は25人で、その数の多さにびっくりします) 

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2008年ヒマラヤ(インド)のカメット(7756m)未踏の南東壁の絶壁を登る “けいさん 。 

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アルパインクライマー平出和也氏とともに、カメット未踏ルート南東壁に初登撃しました。

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カメット未踏ルート南東壁初登撃によって、登山会のアカデミー賞といわれる「ピオレ・ドール(金のピッケル)賞」を日本人として、女性として初めてノミネート・受賞した。まさしく世界から注目を浴びる登山家のひとりでした。

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著者と けいさん とは、著者が山に登るきっかけとなった『一瞬でいい』という小説の解説を引き受けてもらったことが縁で交流が始まったとのこと。 

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「会ったとたん、なんて気持ちのいい人だろうと思った。日に焼けた笑顔が眩しい。全身から森と風と雪の匂いが立ち昇ってくるようだ。そこにいるだけで周りを明るくする。その爽やかな佇まいと、穏やかでどこかはにかむような話しぶりにたちまち魅了された。」 

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2015年・冬。谷口さんは北海道・大雪山系黒岳で滑落し、亡くなった。享年43歳。あまりに突然の計報で言葉もありませんでした。一緒にエベレストに登頂した登山家野口健氏は「谷口けいさんを偲ぶ会」で、次のように語っています。  

「あれから約3カ月。今だに現実を受け止められないでいる。リアリティがないのだ。僕がカトマンズに到着したその日にけいさんは遭難。遭難の知らせを受けたのはカトマンズの夜。「まさかけいさんが」という思いと「ついに来るべか時が来てしまった」との感情が絡み合った。」(画像はチョモランマ清掃隊で)

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野口健氏はさらに続けて(画像はアラスカの氷河、氷と岩のミックスラインを登る けいさん 。

「先鋭的な山登りを続けていれば時間の問題でいつかは死ぬ。一部の例外を除けば。けいちゃんのよりハードな登山スタイルにこんな日が訪れてしまうのではと怯えていた部分もあった。我々、山屋は「自分は山では死なない」と感じつつも、仲間を山で失う度に、次は自分の番かもしれないと密かに感じてしまうものです。そして心の奥底で覚悟を決める。」 

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 けいさん がエベレストに登頂したときブログに記した手記があります。そこには「初めてのチョモランマ(エベレスト・チベット側)そして、きっと二度と来ないはず」との書き出しでした。高所の薄い酸素の中で平常心を失っていた別の隊のイタリア人に酸素を吸わせ、命綱を付けずに下山していたオーストリア人女性に「死にたくなかったらカラビナ(登山用金具)ちゃんとロープに掛けなさい」と厳しく注意するなど多くの登山者の面倒をみた様子がつづられていました。  

野口氏が言うように「先鋭的な山登りを続けていれば時間の問題でいつかは死ぬ。」とは思いますし、登山家や冒険家は命を失うまで挑戦する人と思っているのですが、残念なのは けいさん は先鋭的な登山で亡くなったわけではなく、厳冬期の北海道とはいえ、ちょっとしたことで亡くなったことが悔しくもあります。ご冥福をお祈りします。

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2019年5月 6日 (月)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 08稜線に惹かれて(南八ヶ岳)

蓼科山から見た南八ヶ岳の稜線がとても美しくて、著者は翌年南八ヶ岳に行きました。    

八ヶ岳は北と南では山容が大きく違い、南八ヶ岳は荒々しい岩稜帯や急登の多い地形です。南八ヶ岳の主峰は赤岳(2899m)で難易度は55で上級レベルです。累積標高差1485m、標準時間は8時間45分ですので、日帰りは大変な山です。難易度を他の山と比較してみると南八ヶ岳の蓼科山が41、丹沢山(塔ノ岳)が40で中級レベル、例えば剱岳は90で超上級レベルとなっています。

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「せっかく登るなら八ヶ岳最高峰の赤岳を狙いたい。ただ日帰りは難しいので、赤岳鉱泉(約2220メートル) で一泊することになった。登山口は長野県茅野市にある美濃戸(約1720メートル) で、そこの駐車場に車を置いて出発した。」  

南八ヶ岳は、赤岳を中心として様々なルートがあり人気の山ですので駐車場の確保が大変です。

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最初の休憩地点・堰堤広場まで2キロほど、標高差約300メートル、一時間弱を歩いて短い橋を渡ったらここからが山道になります。そこからは水量豊かな沢沿いを川音を聞きながら歩きますので、快適なハイキング気分です。

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赤岳鉱泉は山小屋気分が味わえて大人気の宿です。登山口から34時間ですので山歩きを楽しみながらここに泊まりに行くだけでもいいかもしれません。 

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「赤岳鉱泉からは阿弥陀岳、赤岳、横岳、硫黄岳の連なつた峰を望むことができる。それもびっくりするほど間近に見える。明日登る山が実感できるのは嬉しい。そして、有難いことに温泉がある(夏季のみ)。」 

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「夕食は名物のステーキ。初めて食べた時はびっくりした。だって山小屋でステーキ! もちろん美味しい。日替わりで煮カツやシチユーの時もあるという。飲み物も、生ビールを始め、ワインや日本酒も置いてあるのでついつい頼んでしまう。といっても、翌日のこともあるのでほどほどにしておく。」  

上高地の「徳澤園」もステーキの宿として有名で、一度は泊まりたい山小屋といわれています。山小屋ライフを楽しむなら、室堂のみくりが池温泉も一押しです。山歩きをしてこんな見事なステーキが食べられるなんて最高です。 

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「部屋は個室を予約した。別料金がかかるが、それくらいの賛沢は許そう。個室はいくつかあって、私たちが泊まったのは四つのベッドがある洋室だ。ベッドがあることにも驚いたが、部屋自体が広いので、荷物も広げられるし、ゆったりと過ごせる。更に羽毛布団なので暖かい。」

山小屋というよりもロッジといった方がいいかもしれません。著者は涸沢に行ったとき3畳の部屋で3つの布団に5人で寝たという凄い経験をしましたが、それに較べたら五つ星ホテルのようです。

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赤岳の山頂を目指す前に著者は赤岳鉱泉までは何度も通いました。何度目かに登ったある日のこと・・・。

「その日は天気もよく、意気揚々と赤岳鉱泉を出発した。徐々に勾配がきつくなってゆく。登るのは地蔵尾根と呼ばれる一般ルートだ。樹林帯を抜けたところで、目の前に崖が目に入った。崖。そう、少なくとも私にはそうにしか見えなかった。でもその崖にハシゴと鎖が設置してある。 まさか、ここを登るの?」 

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「行くぞ」 リーダーの声に、私は自分に言い聞かせた。ハシゴや鎖があるのだからそれに掴まっていれば落ちることはない。とにかく頑張るしかない。そうやって必死に三分の一ほど登ったところで、上から人が下りて来た。どういうこと? 登りが優先じゃないの? しかし、あちらはどんどん下りて来る。鎖は一本しかない。どうやって擦れ違うのだろう。」

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「ちょっとトラバース (斜面を横断)しよう」  そう言ってリーダーは鎖から手を放すと、横へと進んでいった。状況がわからないまま、私もそれに倣った。そして3メートルほど進んだところで、ハッと我に返った。瞬間、身体が硬直した。ここは崖だ。なのに鎖はない。岩の斜面のちょっとした出っ張りに、ようやく登山靴を乗せて、私は今、立っている。左側は絶壁。ここで足を滑らせたら。「無理、無理、無理、絶対に無理」立ち竦んだまま、私は叫んだ。」

画像は北アルプス大キレットでのトラバース。見るだけで足がすくんでしまいます。 

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「ぐったりして八ヶ岳連峰最高峰・赤岳山頂に到着。富士山がくっきりと見える。ああ登ってよかった――。もう一泊したい……。そう思いながら、やっとの思いで下山した。」  

著者はこの時は、リーダー(夫)とロープで繋いでトラバースを乗り切りました。 

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「辛い思いや怖い思いもしたけれど、赤岳はやはり素晴らしい山だ。何度登ってもまた行きたくなる。あんなに怖かった地蔵尾根も今は平気になった。その後、天狗岳、硫黄岳、横岳、阿弥陀岳と登るようにもなった。北も南も、八ヶ岳は魅力溢れる山である。」

浅間山や八ヶ岳などで経験を積んで、著者は意識していたのかしていなかったのか、徐々にヒマラヤに向かっていきます。

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2019年5月 3日 (金)

本の旅 バッグをザックに持ち替えて 07稜線に惹かれて(北八ヶ岳)

著者が住んでいる軽井沢からは浅間山が近く、また八ヶ岳にもアクセスがよく、山登りをする人にとっては大きなアドバンテージです。  

「長野県と山梨県の県境に位置し、南北30キロ余りにわたっている八ヶ岳連峰は、私の住む軽井沢からもよく眺められる。北には蓼科山 (2531メートル)、天狗岳 (2646メートル) などがあり、南には八ヶ岳最高峰の赤岳(2899) をはじめ、硫黄岳(2760メートル)、横岳(2829メートル)、阿弥陀岳(2805メートル) などが連なっている。」 

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「八ヶ岳で初めて登ったのは北八ヶ岳の蓼科山で、別名・女の神山、または諏訪富士とも呼ばれている。たおやかな稜線は確かに富士山に似ていて、麓は豊かな森に包まれ、尾根は優雅なラインを措いている。蓼科山なら初心者でも登れるし、行程約4時間の日帰りにはもってこいというので、登りに行った。」   

初めての山に登るというのは多少の不安と、どんな景色が見られるか楽しみでもあり行く前の日からワクワクします。 

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登山データは、歩行距離12km、累積標高差875m、難易度は41で中級レベルとなっていますので決して侮れません。  

「登山口は七合目(標高約1900ートル)。頂上までの標高差は600メートル強といったところだ。季節は晩秋で、天気はよかったものの寒い。でも、歩けばすぐ暑くなるのはわかっている。」  

初めての山にマイカーで出かけるときは、無事に着けるか、駐車スペースは空いているかなど不安は尽きません。実際に三つ峠に出かけた時には道に迷いましたし、霧島山ではお巡りさんのパトカーで先導してもらったうえに山頂まで同行してもらったこともありました。 

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旅行に出かけるときには現地情報はあまり仕入れないことにしていますが、登山ではできるだけ詳しく登山道の情報は事前に把握するようにしています。特にどんなアップダウンか、岩場やクサリ場などについての情報は必要です。著者の場合は、頼りになる同行者がいたようで、その同行者に任せてしまうと辛い目に遭うこともあります。  

「登り始めた時は『これなら楽勝』と思った。しかし、やはりそんな簡単にはいかなかった。20分ほど歩いたところで「ええっ」と叫んだ。目の前に思いがけず急斜面が現れたからだ。道標に「馬返し」と記されている。傾斜がきついばかりでなく、岩や石がごろごろしていて、あちこちに倒木もある。いよいよか、と緊張した。毎度のことだけれど苦しい。筋力と心肺機能の足りなさを改めて感じさせられる。弱音を吐きそうになるのをぐっとこらえて、メンバーたちの後ろを付いて行った。」 

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著者一行は、一時間半ほど登って、将軍平と呼ばれる平坦地に出ると山小屋「蓼科山荘」があり休憩タイムとなりほっとしました。 

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「見上げると、森林限界を越えた辺りから、頂上に続く道が延びている。標高差200メートル強の更なる急登だ。」  

目標の山を目にして、これなら大丈夫そうとか大変そうだとか、地形や自分の体調によっていろいろです。標高差200mですとあまり圧迫感はないと思うのですが。 

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「頂上まで登れるかなあ。正直なところ、やや不安になった。そんな思いでコーヒーを飲んでいると、馬返しの方から男性が登って来るのが見えた。足元は地下足袋、背負子に大きな段ボール箱を三つも括りつけている。どうやら山荘に荷物を運ぶ歩荷の方のようだ。「頼もしい」という形容詞がぴったりの姿に、思わず惚れ惚れしてしまった。」

丹沢でも全国的に有名な歩荷さんがいますし、歩荷駅伝競走もあり、どういう体をしているのかまるで鉄人のようです。 

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著者は岩場で苦労しました。標高差はそれ程ではありませんが、やはり中級レベルの山です。  

「将軍平で15分ほど休んで出発。頂上へ向かう道を登り始めたが、想像通りきつい。急勾配の上に、大きな岩を乗り越えなければならない。『三点確保』 との声が掛かった。岩に取り付く時、手足の四つのうち動かしていいのはひとつだけだ。傾いた岩に足を乗せるのが怖い。滑って転げ落ちてしまいそうだ。」 

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著者の夫(リーダー)から叱咤の声が飛ぶのですが、恐怖心の克服には場数と慣れしかありません。それでも信頼する人からのアドバイスはありがたいものです。  

「『岩肌が乾いているから登山靴は滑らない。靴を信用しろ』と、言われるが疑ってしまう。本当に滑らない? 怖いものは怖いのだ。途中に鎖があり、それを頼りに登るのだけれど、鎖自体も結構重い。岩を掴み、鎖を握り、ひたすら登ってゆく。『腕じゃなくて、なるべく足を使え』と言われても、ついしがみついてしまう。すっかり腰が退けているのが自分でもわかる。みっともない姿だけれど仕方ない。」 

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「これで本当に初心者向けなんだろうか。何だか騙されたような気分になりながら、40分ほどかけて登ったところでヒュッテが見えて来た。ようやく山頂に到着である。」  

登山データでみると決して初心者向けではなくて著者は夫に欺されたようですが、何はともあれ登ってしまえば結果オーライです。 

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「頂上に立ったとたん、目の前の風景に驚いた。とにかく広い。野球ができるほど広い。足元はごつごつの岩だらけだけど、まさか頂上にこのような場所が待っているとは思ってもいなかつた。」 

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「その上、遮るものが何もなく、眺望が素晴らしい。私のホームマウンテン浅間山を始め、南八ケ岳連峰、北アルプスなどなど信州の山々を一望することができる。」 

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「こういう風景と出会えると、疲れも吹っ飛んでしまう。そんな時、私は大概、忘れている。これから下りが待っているということを。岩だらけの急斜面は、下りこそ慎重さが必要になる。登りの時は、身体はきつくても、目線が足元に集中するので怖さはあまり感じないが、下りは全風景が目の前に広がるので、身が疎む。ジェットコースターのいちばん高いところから下を見ているような状況を想像していただけたらと思う。高度感に足が震え、へっぴり腰なのは自分でもわかるが、どうしようもない。」  

山岳事故の9割は下山時に起こります。 行きはよいよい、帰りは怖い! です。著者はもうこりごりと思いながらなんとか下山することができました。  

「もう、岩場の登山はやめよう」と、情けないくらい後ろ向きな気持ちで必死に下り続けた。一時間かけてようやく下山終了。しかし、これまた不思議なことに、無事に下りられると『私にだってやれるじゃない』と、妙な自信がついていた。きっと、こうやって人は山にはまってゆくのだろう。」 

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