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2025年12月29日 (月)

旅の記憶 南米ペルー紀行 セビーチェ

2015年11/20(金) “愛の公園” から始まり、アルマス広場、ラルコ博物館と続いたリマ市内観光も終わり、夕食へと向かいました。 

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この日は金曜日、夕方近くとあって夕方になると車の渋滞が始まりました。

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一度ホテルに戻り、その後街へと繰り出すことにしました。この日は、オプショナルツアーで「フォルクローレディナーショー」があったのですが、参加希望者が少なく不催行となりました。夕食は各自自由にということになっていたのですが、結局全員で一緒に海辺のレストランを目指しました。 

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スーパーやいろいろな店舗が集まったショッピングセンターはすっかりクリスマスモードになっていて、海外でクリスマスを祝うような楽しい気分となりました。 

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お目当てのレストランは、地元では一番人気のようでとても混んでいました。予約して待つつもりでいたのですが、幸いにも17人分(ツアー参加者16名+ツアーコンダクター)の席が空いたということですぐに着席できました。

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海に面した高台に突き出たように建てられたレストランからは、湾曲している海辺に灯った明かりが見えて、海外旅行気分が増してきました。

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隣り合わせた秋田から参加のK子さん、長崎から参加のSさんと3人で白ワインをシェアして乾杯しました。K子さんはドクターの卵(来年医師国家試験受験)で、ツアー仲間にとっても心強い存在でした。私は、WiFi端末をお借りして大変お世話になりました。 

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総勢16人のツアー仲間は、二つのテーブルに別れました。16人のうち、男性はたった4人で、女性が12人という構成でした。女性陣も比較的若い人が多く、ちょっと意外でした。手前左側のお二人は首都圏から参加のOLさんで、その右側はツアーコンダクターのYさん。

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料理はそれぞれが好きなものを選びましたので、いろいろなものがテーブルに並んで華やかでした。ツアーに組み込まれたお仕着せの料理はほとんどが期待外れに終わることが多く、それぞれが好きなものをオーダーできるのは嬉しいことです。結局このツアーで食べたたくさんの料理の中で、この時の料理が一番美味しかったかもしれません。 

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私とK子さんがオーダーしたのは名物のセピーチェ(セピチェとも)でした。セピーチェはラテンアメリカで食べられる魚介類のマリネで、ペルーやメキシコなどの名物料理となっています。シーフードを食べたかったのとマリネが好物でしたから文句なくセピーチェに決めました。ドレッシングは酸味がきいていて白ワインとの相性もぴったりでした。ウェイターに一品だけで足りなくないかと聞かれましたが、これで十分でした。 

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食後は自由にホテルに戻るということでしたので、K子さん、Sさんと3人でウインドウショッピングをしながらブラブラと帰りました。

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ほろ酔い加減で、異国の夕暮れの街をそぞろ歩くのはいいものです。旅で味わえる非日常的な開放感を最も感じる瞬間でした。

この日のリマ市内観光でペルーの歴史や失われた文化に触れ、海辺のレストランで白ワインとシーフードをいただき、すっかりペルー観光モードの気分が盛り上がりました。翌日からのナスカの地上絵、クスコ、マチュピチュなど、期待も高まりました。 

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2025年12月26日 (金)

旅の記憶 南米ペルー紀行 リマ・ラルコ博物館

2015年11/20(金) リマ市内観光の最後は「ラルコ博物館」でした。 

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「ラルコ博物館」という博物館の門前には警備員が立っていて、よほどの財宝が展示されているのかそれともリマの治安が悪いためか。 

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博物館の厳重な門を開けてもらって中に入ると、通路には博物館という厳めしい建物には不釣り合いな花がたくさん。この博物館は、7世紀頃のものと思われるプレ・インカのピラミッドの上に建てられています。

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プレ・インカとは、インカ帝国以前のアンデス文明の一つで、アンデス山脈の海抜3,700mの高地に広がる1600年前の石造遺跡群で、第2のマチュピチュかともいわれているそうです。 

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顔に入れ墨を施した “モチェ文化” の男性表す象形土器。この男性は、首飾りや胸飾りを身に着け、双頭の蛇のアーチの下に立っています。モチェ文化はプレ・インカの一つで、紀元前後から紀元後700年頃まで繁栄した文化です。 

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インカ帝国だけが注目されていますが、インカ帝国以前のプレ・インカの文化度の高さは凄いものです。 

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紀元前13世紀~紀元後1世紀頃のラクダの毛を織った布地。 

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ところどころ結び目がついている “キープ” といわれる細い紐は、結び目が数を表しているとか、十進法を用いているとか、単なる記号以上の複雑な体系をもっていて言語情報を含んでいるとかが明らかになってきています。これはインカ帝国で使われていたとか、うぅ~~~ん、これも凄い。

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紀元前13世紀~紀元後8世紀頃、古代アンデスでは、天然石や金や銅を組み合わせて、首飾りなどの装身具が作られていたとか。

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紀元後14世紀~16世紀初頭のもの。世界で唯一、完全な状態で揃っているチムー文化の黄金の装身具。チムー文化とは、紀元後11世紀~15世紀頃、アンデス文明の後期に誕生した強力な中央集権的国家「チムー王国」がもたらした文化で、巨大な神殿、宮殿を各地に建設しました。

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ペルーの歴史と文化は目眩がするようでした。博物館の外に出てみると、緑と赤が一層目に沁みました。ここには、真っ白な漆喰の壁に赤やオレンジの様々な花が栄え、庭は手入れされ、田園造りのカフェレストランもあり、調和のとれた美しさに驚かされました。 

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「ラルコ博物館」の創設者は、ラファエル・ラルコ・ホイルという人で、ペルー考古学界に大きな功績を残した人。ここにはアンデス文明に関する貴重な個人コレクション約45000点が展示されているとか。圧倒されました。現地ガイドのミゲルさんは、ここでもまたペルーの財宝の8割がスペインに持って行かれたと繰り返していました。 

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2025年12月23日 (火)

旅の記憶 南米ペルー紀行 リマ・アルマス広場

2015年11/20(金) 午後からはリマ市内観光に出かけ、“愛の公園” などに立ち寄った後、定番のアルマス広場へと向かいました。

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ユネスコ世界遺産リマ歴史地区の中心に位置するアルマス広場は、大聖堂(カテドラル)や大統領官邸などに囲まれ、リマで最も有名な観光スポットです。真っ正面に見えるのは南米最古の大聖堂です。 

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この建物はペルー政庁で、1939年に大統領府として公式に認められました。元はインカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロの屋敷跡だったもので、ペルー人にとってはちょっと複雑な気分の場所のように思われました。またかつて日系人のフジモリ元大統領もここの主でした。 

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リマはペルー共和国の首都であり、政治、経済、文化の中心都市で人口は800万人で南米有数の都市です。日本で地方から東京や皇居見物などに上京する人達を “お上りさん” と言っていますが、ここでもお上りさん風の人達が目につきました。

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リマは、かつては治安が悪かったようで、2013年にはNHK取材班が盗難に遭ったりもしたそうですが、現在はそれほど悪くはないようでした。 

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それでも物々しいポリスの姿をチラホラ見かけましたので、やはり何が起こるかわからないようでしたし、まあそれは世界中どこでも、安心・安全の国や都市がないわけですから。 

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ペルーというと、マチュピチュやナスカの地上絵などが思い浮かびますが、他にインカ帝国やアンデス高原などという言葉も思い浮かびます。広場の石段に腰掛けている先住民(or原住民?)の女性が被っている帽子は民族衣装の一種だそうです。ペルーは、南米で先住民の割合が2番目(1番目はボリビア)に高いそうです。 

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1500年代に建設された南米最古の大聖堂には、インカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロの遺体も安置されているとのことですが、残念ながら公開はされていませんでした。 

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スペインがこの国に侵略し、その後スペイン人と先住民との混血かが進んで、先祖には侵略側も非侵略側も混在しているとのことでした。屈託なく遊んでいるこの子達にも両方の血が混じっているのでしょうが、時間を積み重ねることによって同化が進み、新しい時代が築かれていくのでしょう。 

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正面の、とってもオシャレなデザインの建物は図書館です。

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図書館の入口には変わった “おもろいおばちゃん” がいて、私達を見つけると日本語でスピーチというか歓迎の言葉を述べてくれました。とても陽気でした。

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この図書館は元は駅舎だったそうで、表にはレール跡があり、プラットホームだったところにはテーブルや椅子が置かれていて、熱心に読書している人の姿が見られ、ペルーのちょっと意外な風景でした。 

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世界遺産であるこのリマのセントロ(旧市街)、碁盤の目状に造られたエリアにはいくつもの教会やコロニアル様式の建物が並んでいて往時を偲ばせるものでしたが、どうしてもスペインの影響を感じずにはいられませんでした。 

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現地通訳のミゲルさん。かつて日本の豊田市に出稼ぎに行っていたことがあるそうで、当然日本語はペラペラでした。スペインによってインカ帝国が滅ぼされ、8割もの財宝や物資が盗まれたことをしきりに悔しがっていました。ミゲルさんの体には先住民の血が濃く流れているようにも見えました。 

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元気そうな子供達。 

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大都市ですので道はよく整備されていました。トヨタや日産の車も多く見かけました。 

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街角に立つ女性達の姿・・・、と・・・禁止の標識。

リマのアルマス広場の観光で、この国の歴史の一端を垣間見ることができ、また広場に集う人達、ようやくペルーを実感したのでした。

 

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2025年12月20日 (土)

旅の記憶 南米ペルー紀行 リマの街角

2015年11/20(金) この日は、ホテル出発が13:00でしたので午前中はノンビリできました。午後からはリマ市内観光に出かけました。 

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02:40にホテルに着いて、ベッドに倒れ込んで爆睡し、それでも朝早く目が覚めてしまいました。朝食後、とりあえず早朝散歩に出かけました。ホテル前の道は一見静かな住宅街のように見えましたが、ホテルが並んでいて夜は車で混み合っていました。 

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ホテルで貰った地図を頼りに海辺へと向かう途中雑貨屋があり、ペットボトルを買いました。 

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海辺へと出ると、海を見下ろすようにホテルやマンションが建ち並んでいて、熱海のような景色でした。

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しばらく海沿いの道を歩いて行くと眼下に防波堤が見え、堤防にはレストランがありました。この日の夕食は各自自由ということになっていましたので、海辺のレストランで白ワインとシーフードをいただきたいものです。 

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午前中は散歩したりホテルの部屋でノンビリしたりして長距離移動の疲れを癒やしました。午後からの観光に備えて、ホテルのレストランで昼食をとりました。何はともあれ、ビールで乾杯しました。 

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ホテルのレストランにいつも置いてあった瓶に入ったニンニクや木の実など、ピクルスではないかと思っていたのですが、3連泊もしたのに結局味わうことができませんでした。 

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ホテルの前には、私達の専用バスが待機していました。バスの前をツアーコンダクターのYさんが横切っていきました。 

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総勢16人には広すぎるバスのおかげでゆったりと観光することができました。

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バスから眺めた風景はヨーロッパで見たような風景で、これはかつてペルーを侵略して長い間統治していたスペインの影響を受けているからかもしれません。

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ペルーに着いてまだ間もないせいか、これぞペルー、これぞリマという風景になかなかお目にかかれませんでした。そのためか、トルコにいるような気になったり、モロッコの街角にいるような気になったりしました。 

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私達のバスは海辺の公園に着いて、バスを降りしばらく散策をしました。日本でも見るような売店があり、ジュースやスナック菓子を売っていました。

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アイスクリーム売りの三輪自転車は、東南アジアなどでもよく見かけたものと同じようなもので、万国共通こういうスタイルになるのかもしれません。 

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ここは “愛の公園” といわれているそうで、なるほどでした。 

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愛の公園でチラホラ目についたカップル、夜になるときっともっと賑やかというか混み合うのでしょうね。

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市内中心部の街角で見かけた若いペルー人達、そういえば顔も体型もそれらしい雰囲気でした。

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立ち並ぶ建物もやはりスペインの影響か、オシャレっぽくもあり落ち着いた雰囲気でもありました。歩行者天国のような街路には観光客の姿も見られ、こちらも少しずつ観光気分になりました。

長時間移動の影響がまだ抜け切れていないせいか、なかなか観光気分になりきれませんでしたし、ペルーにいるんだという実感もあまり湧いてきませんでした。

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2025年12月17日 (水)

旅の記憶 南米ペルー紀行 ロス~リマ到着

2015年11/19(木) 前日遅い時間にロサンゼルスに到着し一泊した後、ようやくペルーの首都リマへ向けて出発しました。

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08:49 ロサンゼルス市内のホテル前の通りは、もう9時近いというのにひっそりとしていました。空気はヒンヤリとして気持ちのいい朝でした。 

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ホテル前にはシャトルバスが待機していました。

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09:27 ロサンゼルス空港へと向かいました。空は青く、前日の疲れもとれていよいよペルーに向かうかと思うと気持ちも晴れ晴れとしました。   

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出発予定時間は12:50で、かなり早めに空港に到着しましたので手続きカウンターはとても空いていました。

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ロスからペルーへはLAN・ペルー航空という航空会社を使いました。添乗員のYさんによると、この航空会社はしばしばトラブルが発生するということでしたが、復路ではひどい目に遭いました。 

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12:29 機内に乗り込みました。さすがラテン系というか機内デザインは陽気でした。 

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14:18 機体は、12:50に予定通り離陸し、北米大陸から南米大陸へ向けて順調な飛行を続けていました。 

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14:29(アメリカ時間) 機内食が出ました。アメリカ時間では昼食ですが、ペルー時間(17:29)では夕食ということになります。日本との時差はアメリカでは-17時間、ペルーでは-14時間ということになり、頭も身体もついていくのがちょっと大変でした。 

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アメリカ時間19:58、ペルー時間22:58、ロスを出発してほぼ7時間、機体は南米大陸に入りました。

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00:50(ペルー現地時間:以降同じ) ようやくリマの空港に着きました。深夜というのに待合室には登場を待っている人達がたくさんいて、羽田でもそうでしたが、世界中の空港で、昼も夜もなく飛行機が離着陸し、人々が移動しているわけで、これは凄いことです。 

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01:40 リマの空港で、私達ツアー一行16名はペルーの現地通貨に両替をしました。ようやくペルーに着いたという実感がわいてきました。 

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リマの空港からホテルまでは専用バスで移動しました。 

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02:27 リマのホテルに着きました。何人かの人のスーツケースはトラブルに見舞われましたが、なんとか全員のスーツケースが揃いました。 

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エンバハトーレスという名のホテルに3連泊しました。 

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02:40 夜中の3時近く、荷物の整理は翌日回しとしてベッドに倒れ込みました。

羽田からリマまで飛行機に乗っていた時間は19時間、待ち時間や宿泊した時間を入れると40時間かかりました。地球の裏側に着きました。

 

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2025年12月14日 (日)

旅の記憶 南米ペルー紀行 サンフランシスコ~ロス

2015年11/19(木) JALに乗ると同時に日付が変わりました。そして9時間のフライトでサンフランシスコに到着し、次はロサンゼルスへと向かいました。

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サンフランシスコ空港のボードには、国内線や国際線など世界中の路線が表示されていました。ここでのトランジット時間は4時間もありました。ここでのセキュリティチェックや入国審査に時間がかかるかと思ったのですが、意外にもスムーズでたくさんの時間が余ってしまいました。 

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昼食は機内で食べ、夕食は空港で各自自由にとることになっていましたので空港内の売店を物色しました。サンドウィッチや野菜をパイ生地のようなものでまいたものなどがありましたが、ボリュームがありそうな上に価格も1,000円以上しましたので他のものを探しました。 

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握りや巻物の寿司が目につきました。 

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握り寿司はネタがどの程度のものかわかりませんでしたので、巻物にしました。アボガドやカニカマのようなものをノリで巻いて、ノリのまわりにシャリが巻かれた不思議な巻き寿司でしたが、味はまあまあでした。周りでは、外人が握り寿司を箸で器用につまんで醤油をつけて食べている姿もチラホラ見られ、寿司人気が伺われました。 

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18:12 予定では20:30発の便で、出発まではまだ十分時間がありましたが、搭乗口には結構多くの人が待っていました。 

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20:22 搭乗が始まりました。機体は新しく、シートなども頑丈そうで機能的でした。混み具合は8割くらいの乗客率だったでしょうか。 

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たまたま隣り合わせたツアー仲間のK子さん、まだお互いにあまり話をしませんでしたのでどこから来たか、どういう人かはわからず、ニッコリと笑っていたこの方にすっかりお世話になるとは思いもしませんでした。 

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私もK子さんにシャッターを押してもらいましたが、やはり長いフライトの後の長いトランジット時間に疲れは隠せませんでした。 

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21:30 サンフランシスコからのフライト時間は1時間半で、あっという間におびただしい光を放つロスの夜景が眼下に広がっていました。 

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ロサンゼルス空港、この空港が帰りには思い出の空港になろうとは。 

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空港内のハンバーガーBarは満席で賑わっていました。 

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スーツケースが出てくるターンテーブルにはどいうわけか、可愛いマスコットがあり、ここまでの長旅の疲れと緊張がちょっと緩むような。アメリカに入国する場合のスーツケースの鍵はかけてはいけないことになっていますので、羽田でスーツケースを預けた時には鍵をかけずにおいたのですが、受け取るまでちょっと心配でした。鍵をかけておくと壊されることもあるとのことでした。

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スーツケースを受け取り、専用バスでホテルへと向かいました。

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23:05 ホテルにチェックインし、部屋に入って、ベッドに倒れ込んで寝てしまいました。羽田を出発して16時間でした。

羽田を出発してスーツケースはロスで受け取ることになっていたのですが、16人のツアー仲間のうち3人分のスーツケースが最終的な目的地のペルーのリマに先に行ってしまいました。またスーツケースを縛ってあったベルトがなくなったという人も1人いました。私はスーツケースを開けろといわれ、チキン味のカップヌードルを没収されましたがシーフード関係は無事でした。出発早々いろいろありました。 

 

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2025年12月11日 (木)

旅の記憶 南米ペルー紀行 羽田~サンフランシスコ

2015年11/18(水) 南米ペルーへ向けての長い旅が始まりました。「ペルー4つの世界遺産めぐり9日間」というツアーに一人参加しました。帰国は11/26(木)の予定だったのですが。 

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出発する空港は羽田国際線ターミナルでした。 21:02 少し早めに空港に着くと、イルミネーションが煌びやかで、なんとはなくの出発前の緊張感をほぐしてくれました。 

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最近は、羽田国際線ターミナルからの出発が増えているようで、夜遅くの時間帯とは思えないほど多くの人達が手続きカウンターへと向かっていました。 

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集合時間にはまだ時間がありましたので、仲見世通りのような江戸情緒の街をブラブラと。出発前のこの時間帯は時間をもてあましてしまいますので、結局はいつもこんな風に時間を潰しますが、これはこれで楽しい時間でもあります。 

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日が暮れてあたりが真っ暗になった頃自宅を出発し、リムジンバスから夜の街を眺めていた時には、長時間移動に耐えられるだろうかという不安や、体調を崩さないだろうかという不安、高山病への心配などが頭をよぎりましたが、空港の華やかな雰囲気に触れているうちに、不安はかなり薄らいできました。 

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22:51 搭乗手続きを終えて、JALラウンジで出発前の一時を過ごしました。今回のツアーにはプレミアムエコノミーというコースで申し込みましたので、ラウンジを使うことができました。ラウンジには、やはりビジネスマンやビジネスウーマンが目につきました。 

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ラウンジでは酒が飲み放題で食事もできますが、そう飲めるものでも食べられるものでもありません。 

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ビールでにぎり寿司をちょっとつまんだ後、ウィスキーでお口直し。搭乗すれば機内食が出てきますし、これから旅が始まりますのであまり飲むわけにはいきませんでした。

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23:37 搭乗時間が近くなりましたので搭乗口へと向かいました。搭乗するのはJAL2便サンフランシスコ行きです。そういえばサンフランシスコを漢字で書くと「桑港」ということは知っていましたが、「旧金山」と書くことを初めて知りました。

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賑やかでありながら静かなシスターの皆さんも同じフライトでした。これが変な集団だと嫌だなあと思いますし、修学旅行生達だとうるさそうだと思いますが、シスターさん達だと何となく安らかな気持ちになれました。 

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11:48 機内へと通じる搭乗通路、いよいよ腹を括って日本を離れました。 

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飛行時間は9時間10分と長時間ですので隣の人がどういう人か気になるものですが、隣人は外国人のお兄さんで顔はちょっと! ですが、気立ては良く、気を遣わなくてすみました。プレミアムエコノミーでは、シートの幅が少し広く、また背もたれはフルフラットにはなりませんがかなり倒せますのでかなり楽でした。 

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01:21 寝酒には赤ワインを飲みました。そして背もたれを倒してぐっすりと眠りました。 

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06:49(時差は-17時間:現地時間13:49) 目覚めた時には昼食の時間(現地時間)となりました。JALの機内食は最近とても美味しくなりましたので食べ過ぎて困ります。 

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16:27(現地時間:以降同じ) サンフランシスコ空港に到着しました。今回は、アメリカはトランジットだけですので国土を踏んだわけではありませんが、アメリカ入国は初めてでした。この時点では、まだツアー参加者(16人)の顔合わせが済んでいませんでしたので、顔見知りは添乗員さんだけで、この後皆さんと顔合わせをしてホッとしました。 

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17:19 ちょっと空港建物の外の空気を吸いました。今回のツアーで最初のフライトでしたが、これから先、ロサンジェルスへ、リマへ、クスコへと続くフライトは、まだまだ始まったばかりでした。

プレミアムエコノミーでの移動はトルコ(夫婦で、コンフォートクラス)に次いで2回目でした。モロッコへは初めてビジネスクラス(夫婦で)を使いました。プレミアムエコノミーは、エコノミーに比べて7万円高かったのですが、これを高いとみるか安いとみるかは人によって異なると思いますが、帰国してからの疲労度がかなり緩和され、すぐに仕事に入れるのでとても助かります。 

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旅の記憶 南米ペルーへ

2015年11/18(水)~26(木) 南米・ペルーに出かけました。 

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「ペルー4つの世界遺産めぐり 9日間」というツアーに参加することにしました。カミさんはまったく興味を示さず、一人参加となりました。ツアーに申し込んだ時にはワクワクしていた気持ちも出発日が近づくにつれ不安が増してくるのはいつものことです。添乗員さんから出発前の確認電話がきて、あれに注意、これに注意、何がダメとかの注意事項を聞くとさらに気分は滅入ってくるのです。不安のまま空港に出かけ、出国審査をすませると開きなおって、飛行機が離陸すると現実は忘れて、日々の出来事はどうでもよくなるというパターンは今回も同じようです。 

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南米は初めてです。日程表を見るとほとんど飛行機に乗りっぱなしで、やはり南米は遠いという実感が湧いてきました。今回はプレミアムコースという、エコノミークラスよりちょっと広めのシートで、昨年のトルコツアーの時に利用したコンフォートクラスと同じようなものと思われ、その時はかなり楽でしたので、今回も少し楽かなと思います。但し、それも日本~サンフランシスコの間だけです。その次のロス(米)~リマ(ペルー)の区間(8時間)はエコノミーとなります。 

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南米にはたくさんの観光地がありますが、今回はペルーとクスコの観光というコンパクトなものです。特にマチュピチュが目玉ですが、この超有名な観光地は年中TVで見ていますので今更という感じがしますし、世界中の観光客でごった返すことも目に見えていますので最初は敬遠していたのですが、まあそれを承知で実際に自分の目で見てみたいという気持ちもあり、また南米そのものにも興味がありましたので決めました。 

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スケールは異なりますがエベレストを実際に自分のこの目で見てみたいという気持ちと同じで、やはり実際に見てみたいものです。マチュピチュの標高は2,000mですが、クスコは3,400mで富士山の本八合目と同じ高さです。高山病には要注意ですが、ヒマラヤに比べれば少し気が楽です。

一番気になるのはやはり飛行距離の長さ、遠さです。来年の2月に同じ南米のアルゼンチン・パタゴニアというところに出かける予定があり、ペルーよりさらにさらに遠い南の果てです。いわば今回のツアーはその予行練習でもあります。あまりの遠さに嫌気がさしてしまうか、これくらいなら大丈夫と思うか、試金石でもあります。

スマホを持っていれば、電話(料金はこちらもち)やメールも使えますので仕事には差し支えがなさそうですが、時差が-14時間ですので、やはり遠い、地球の裏側を実感しています。出発は、日付が変わる11/19(木)の00:05、羽田からとなります。 

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2025年12月 8日 (月)

旅の記憶 琵琶湖ウオーク 義仲寺ゴール

2015年10/29(木) 琵琶湖ウオークも最後となりました。

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比叡山に参拝して山を下りてから、歩いたり電車に乗ったりして琵琶湖ウオークの出発点三井寺と義仲寺を再訪しました。

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琵琶湖ウオークをスタートするにあたって、今まで訪ねたことのない名刹に寄ってみようと思い、最初に立ち寄ったのが三井寺でした。9月7日のことでした。

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三井寺へと向かう道と並行して流れていたのは琵琶湖疏水でした。琵琶湖には大小400本もの川が流れ込んでいて、一方琵琶湖からの排水は瀬田川だけでしたが、その後この琵琶湖疏水が開かれ京都へと琵琶湖の水が流れるようになったということも知りました。 

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義仲寺も9月7日に訪れたのですが、その時は休業日で門は閉まっていましたが、この日は開いていてようやく中に入ることができました。

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この義仲寺がいつ創建されたかは明らかではないのですが、木曽義仲(源義仲)の死後、愛妾だった巴御前が墓所近くに草案を結んだのが始まりといわれています。 

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義仲公墓には花が供えられ、今でも訪れる人が絶えないようでした。この日も10人くらいの俳句仲間の方達がいました。

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義仲の愛妾巴御前のお墓(巴塚)は、義仲公墓の隣に仲良く並んでいます。こちらにもお花が供えられていました。 

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こちらは松尾芭蕉の墓。俳人の芭蕉はこの寺と湖南の人々を愛し、度々滞在したそうです。芭蕉が大阪で亡くなった時、 “亡骸は木曽塚に送るべし” という遺言に従って義仲公墓の横に葬られました。 “木曽殿と背中合わせの寒さかな” という句が有名です。

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ここ「無名庵」では、芭蕉の句会が度々行われたとのことです。一回目は8年前に東海道を歩いた時、二回目は琵琶湖ウオークをスタートした9/7、ここを訪れたのですが、共に門が閉じていて中に入ることができませんでした。今回で三度目の正直でした。あまり関係ないのですが、自分の中では琵琶湖ウオークのエンディングに相応しいスポットのように思えました。

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義仲寺の近くに前回も気になっていた「八真道(やまと)」ラーメン屋があり、ちょうど昼時(12:19)でしたので是非是非と思ったのですが、何の貼り紙もなく扉は閉じられたままでした。残念! 

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仕方なく、京都駅に移動し、駅弁を買って新幹線に乗り込み、あっという間に帰宅しました。 

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琵琶湖一周240kmと聞いていたのですが、 “びわ湖サイクルライン” では193mとなっていました。まあどちらでもいいのですが、9泊10日のウオークでした。びわ湖サイクルラインのようにできるだけ湖岸に沿っての道を歩けばそういう距離だと思いますが、実際にはあちこちで寄り道をしました。長命山の808の石段や安土城址の405の石段、佐和山城跡にも登り、近江八幡市や長浜市の町歩きをしたり随分寄り道をしました。

琵琶湖ウオークといいながら、結果として危険なところ(琵琶湖パークウェイ)は宿泊先の車で送迎してもらったり、適切な宿泊施設がなかったり予約ができなかったりで近江舞子~堅田間はJRを利用しましたので全て歩いたわけではありません。寄り道をした分、日程が足りなくなりましたが、それでもジグザグの町歩きはとても面白かったのです。

歩くことと同じくらいの大きな目的、居酒屋巡りも石山、近江八幡市、彦根市、長浜市、堅田(大津市)でいいお店に巡り会うことができました。

琵琶湖ウオークは通常は瀬田唐橋が起点となっていますが、私は大津市の義仲寺を起点と考えました。今回3回目にして初めて義仲寺に入ることができ、義仲、巴御前、芭蕉の墓に墓参することできました。義仲寺は人の世の儚さを感じてしまう、好きな場所です。

琵琶湖は滋賀県の面積の1/6を占めていて、また琵琶湖を取り囲む東西南北の地域はそれぞれ歴史・文化と特色を持っていて、地域の特徴を一口では言い表せません。一周200kmと、東海道や中山道などに比べると距離は短いのですが、とても密度が濃かったテクテクのように思います。

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2025年12月 5日 (金)

旅の記憶 琵琶湖ウオーク 比叡山詣で

2015年10/29(木) 琵琶湖ウオークの最後の日となりました。 

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この日は、比叡山に寄って、琵琶湖ウオークのスタートとなった三井寺を目指しました。そして京都から新幹線で帰宅する予定でした。

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06:32 琵琶湖の朝陽を見ながら宿を出発しました。

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これで琵琶湖ともお別れでした。 

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このまま歩いて行けば26kmで京都へと通じる道を歩きました。 

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07:54 出発して1時間半、知る人ぞ知る「雄琴温泉」辺りに来ました。看板には “雄琴温泉のゆるキャラ” なんかがあったりして、イメージチェンジの心意気がわかりました。

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雄琴温泉は初めてだったのですが、 “雄琴温泉港” があるとは思いませんでした。港の前にはごく普通のホテルやリゾートマンションらしき建物が目につきました。 

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観光ホテルでは、既に観光バスが出発の準備をしたりしていて、雄琴温泉も観光地としての朝を迎えていました。 

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国道を歩いて行くと、かつての雄琴温泉も健在のようですが、こちらの街はまだ眠りから覚めていないようでした。 

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比叡山へと向かう道は、国道から離れて静かな住宅街を抜ける道でした。 

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延暦寺の玄関口となる「坂本」というところも静かな町でした。昔の風情を残す日吉大社への道を歩いて行くと、 “比叡山延暦寺の開祖 傳教大師生誕の寺” というお寺、生源寺がありましたので入ってみました。 

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傳教大師・最澄が産まれた時使った産湯の井戸がありました。 

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坂本の町に入ってから日吉大社までの距離は結構ありました。 

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09:17 比叡山へは坂本からケーブルに乗りました。延暦寺までの距離は日本最長の2,025mで、この距離を11分で結んでいます。1927年(昭和2年)に敷設されたもので、それまでは比叡山のお坊さん達は何かにつけて山道を登ったということでしたから、それだけで大変な修行になったことでしょう。 

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ここ比叡山延暦寺は30年くらい前に訪れて以来2回目です。この門を通った記憶がまったくなく、今回が初めての参詣のような気がしました。今まで何回か比叡山には来ているのですが、京都方面から入りました。 

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比叡山延暦寺の開祖最澄は高野山の開祖弘法大師空海と並び称される人で、どうしても四国遍路の経験があるせいか空海の方が親しみやすいのですが、最澄の “一隅を照らす” という教えは好きな言葉です。

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比叡山は標高848mですので、ケーブルで上がってくると空気はヒンヤリと感じましたが、それでもまだ紅葉はチラホラでした。 

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比叡山にはたくさんの伽藍がありますが、延暦寺根本中堂が比叡山延暦寺の総本堂であり中心です。

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根本中堂には、最澄が788年にともした灯火が1200年間消えることなくともっているそうです。

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根本中堂の中から、若いお坊さん達がゾロゾロと出てきました。話の内容から研修に来たようで、青々とした坊主頭が初々しく、屈託なく笑っている様子から、これからの修行をあまり心配しているようには見えませんでした。内心はわかりませんが。 

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時々聞こえていた鐘の音、近づいてみれば “開運の鐘” で、一突き50円だそうで、ただしお一人様一回限りとのこと。私も50円出して一突きしました。 

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比叡山に上った理由は、一つは久しぶりの延暦寺参拝でしたが、もう一つは琵琶湖ウオークでは比叡山を見ながら歩きましたので今度は比叡山から琵琶湖を見てみようというものでした。

比叡山からは琵琶湖大橋がハッキリ見え、大橋の先のには歩き始めて2日目に宿泊した “ラフォーレ琵琶湖” の白い建物が見えました。湖の向こうは霞んで見えませんでしたが、このでかい湖の周りをよくもまあ飽きずに歩いたものです。 

 

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2025年12月 2日 (火)

旅の記憶 琵琶湖ウオーク ビューロッジ琵琶

2015年10/28(水) 風車村、白浜を通り過ぎ、白髭神社前の国道を近江舞子目指して歩きました。

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この日の最終的目的地は琵琶湖大橋近くのビューロッジ琵琶ですが、そこまではとても歩けませんので近江舞子駅まで歩くことにしました。 

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13:08 バイパスに沿った道は車の騒音と排気ガスで最悪で、さらに強い向かい風と霧雨にも祟られ、今回のウオーキングで最も辛い時間でした。

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“びわ湖サイクルライン” や “近江湖の辺の道” はどこに消えたのだろうと思っていましたら、国道からちょっ中に入った草むらに見つかり、ホッとしました。 

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13:42 びわ湖サイクルラインの標識も見つかりました。瀬田唐橋から148kmですので、白浜の手前(138km 10:44)から10kmを3時間かかっているということになりました。昼食をとったりしましたので、こんなものかなと思いました。 

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14:06 近江舞子に近づくにつれて、 “白砂青松の景勝地” という地図に記載されて通りの景色が見られました。レジャーボートの基地があったのですが、他には建物も店も何もなく、ちょっと肩すかしでした。 

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湖岸から離れた場所では、今まで見たこともない琵琶湖らしくない景色も見られました。

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JRの高架に沿って舗装された車道があり、駅が近いと思われたのですが、ここにも何もありませんでした。

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14:31 近江舞子駅に着きましたが、駅前にも何もなくガランとしていました。駅の名前からして賑わいのある華やかな場所なのかなと勝手に想像したのですが、すっかり予想が裏切られました。この辺りで宿泊場所があればいいなあと思っていたのですが、来て初めて何もないことがわかりました。 

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14:35 ここからJR堅田駅まで16km、電車に乗ることにしてホームで待っていると他に誰もいないホームに電車が滑り込んできました。歩けば4時間の距離で歩けないこともないのですが、再び国道沿いの道になりそうでしたのでパスしました。

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この日の宿泊先 “ビューロッジ琵琶” は、JR堅田駅で電車を降りてそこから歩いて15分くらいの湖畔にありました。勝手に湖畔に建つ瀟洒な白亜の建物を想像していたのですが、二階建ての国民宿舎でした。 

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目の前は綺麗な砂浜で、夏にはきっと賑やかなのでしょう。 

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17:07 この日はたくさん歩きましたので、「魚料理 遊山」という居酒屋に開店と同時に入りました。

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店内に入ると生け簀にもカウンターのケースにも魚がたくさんいました。 

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マナアジの刺身。

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サワラのたたき。 

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貝の刺身。

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日本酒は “満寿鏡 じぶんどき”。 

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酒と魚で小腹を満たした後、シメは肉野菜ラーメンにしました。 

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お腹も一杯になり、ほろ酔い加減で日が暮れた道を宿泊先の “ビューロッジ琵琶” へと戻りました。ビューロッジ琵琶は、琵琶湖大橋の袂にありました。琵琶湖橋を渡った先には9/14に宿泊した “ラフォーレ琵琶湖” があります。琵琶湖大橋を渡ってみようとも思ったのですが、片道30分、往復1時間かかりますのでやめました。 

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宿泊先に着いて、私の部屋以外に明かりがついていてホッとしました。チェックインした時は他のお客がいませんでしたので一人きりの宿泊かと心配していました。 

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部屋は、バスもトイレもなく布団も自分で敷く(気楽でいいのですが)で素泊まり6,500円でした。前日のサンブリッジホテルの6,000円に比べるちょっと高いのではと思いました。

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窓を開けると満月に近い月が湖面に光を映していました。見ようと思っていた琵琶湖の月でした。

この日は、朝サンブリッジホテルを06:00に出発して近江舞子駅までの24kmを8時間半で歩き、その後は電車を利用しました。もう一泊できれば電車を利用することはなかったのですが、京都に近くなるせいかどこも満室でしたので諦めました。それにしても近江舞子があれほど何もない(白い砂浜がありましたが)ところだとは思いませんでした。

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