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2026年1月30日 (金)

旅の記憶 南米ペルー紀行 クスコ出発

2015年11/23(月)~24(火) マチュピチュ村でたっぷりと時間を過ごし、来た時と同様列車でクスコへ向かい、クスコからリマへと飛行機で移動しました。 

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マチュピチュ駅周辺にようやく日暮れが訪れてきました。あたりは急に冷え込んできて、まわりも暗くなってきました。 

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列車の発車予定時間は18:20、私たちは少しゆとりをもって改札口へと向かいました。 

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列車はゆっくりとホームに入ってきて、私たちは指定の車両へと向かいました。列車に乗り込む時、パスポートとチケットの提示を求められました。 

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乗車して、荷物置き場にリュックを置いて指定された座席に行くと、後ろ姿からは外国人かハーフかと思うような女性が通路側に座っていましたので、英語で語りかけたところシャキシャキの日本語が返ってきました。何と、東広島市西条町という何回か訪ねたことがある酒どころ出身のHitomiさんという日本人女性でした。アメリカのマイアミに住んでいて、ご主人がスウェーデン人(イケア勤務)で、Hitomiさんはアルゼンチンの広告代理店のデザイナーとのこと。マイアミには日本人が少なく、日本語に飢えていたとかで、終点までの2時間近く、お互いに飽きもせず話が弾みました。

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私たちツアー一行の他は外国人ばかりで、Hitomiさんは外国人との隣り合わせではなくて私たち日本人との同席であることを喜んでくれました。話の中で、なんで外の景色が見えない夜の列車に乗っているのかと聞かれ、それは多分この時間帯は料金が安いからということをHitomiさんから教えられました。なるほど、昼間の明るい時間帯は料金が高く、夜は安いということがわかりました。少しくらい高くなってもよかったのにとちょっと残念でした。 

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20:12 Hitomiさんとワイワイガヤガヤ話をしているうちに終着駅に着きました。Hitomiさんとはお互いの旅の無事を祈りつつ、ここでお別れしました。 

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20:53 予定では、夕食はホテルに着いてからということになっていたのですが、それでは22:00過ぎになってしまいますし、ホテルでの予定メニューのパスタは美味しいそうでもないということで、急遽途中のレストランでとることになりました。素晴らしいレストランに連れて行ってもらいました。 

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飛び入りで、アンデスのフォルクローレの演奏が始まりました。哀愁を帯びた独特の音色とメロディーが響きました。旅の思い出に千円のCDを買いました。

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メインの料理はサーモンのフライで、サーモンはしっとりとして脂っこくなく、ツアー全体を通じてはリマの海辺のレストランで食べたシーフードに次いで美味しかったのでした。

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デザートも、フルーツの種類が多く、これも美味しかったのでした。

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レストランの雰囲気は品格があってとてもよかったのですが、礼拝堂もあり、アンデス山中にこれほど立派なレストランがあるとは思いもよりませんでした。 

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05:15 前日は22:30にホテルに着き、この日は04:30出発という超ハードなスケジュールでしたが、全員寝坊することもなく遅れることもなく、順調にクスコの空港に着きました。ポーターさんが私たちのスーツケースを運んでくれました。帰国への長いフライトの始まりでした。 

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05:22 リマ行きのフライトは07:00でしたので時間はあり、早朝で空いている搭乗手続きもスムーズでした。 

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05:33 現地ガイドのマルセロさんとはここでお別れでした。とても情熱的な人で、もう一度日本に行きたいと何回も言っていました。 

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06:30 リマ行きフライトの搭乗開始となりました。羽田~サンフランシスコ~ロス~リマ~クスコ~リマと、5回目のフライトでした。 

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インカ帝国の首都クスコ、標高3,400mの高山都市クスコともお別れでした。リマ空港に向けて、出発しました。 

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2026年1月27日 (火)

旅の記憶 南米ペルー紀行 マチュピチュ村

2015年11/23(月) 3時間のマチュピチュ散策を終え、私たちはシャトルバスでマチュピチュ村へと戻りました。 

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マチュピチュを去る時間がきました。ターミナルにはたくさんの観光客が帰りのシャトルバスを待っていました。 

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私たちが帰りのシャトルバスに乗り込んでいる合間にも、これから観光しようという人たちが続々とバスから降りてきました。 

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バスの窓からワクワクしながら眺めた、いくつもが折り重なっているようなアンデスの山々に別れを告げました。空中都市のマチュピチュの景色は忘れませんが、山深いこの風景も忘れがたいものです。 

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シャトルバスを降りて、レストランへと向かいました。貨物車のレールが敷かれていて、その両側にショップが軒を連ねていて、まるで台湾の十份みたいなところでした。とにかく夏の陽射しが強烈でした。 

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雨にも降られず、青空の下でマチュピチュ観光ができたことに乾杯しました。 

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昼食の前菜はコロッケのようなものでまあまあ美味しかったのでした。 

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メインは、ビーフとタマネギ炒めで、こちらもごく普通に美味しく食べました。

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この日は、夕方出発の予定でそれまで時間がたっぷりありましたので、マチュピチュ村を散策することにしました。駅前には大きな岩というか小さな山というかが聳えていました。マチュピチュ村は山間の小さな村でした。 

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昨晩、暗い中をドヤドヤと列車を降りましたので、周りの風景がどうなっているのかわかりませんでしたが、改札口はとても小さくローカル駅の趣でした。 

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駅前広場はとても小さな広場でしたが、ここもアルマス広場でした。

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広場の真ん中にある銅像は、第9代皇帝パチャクテク。この皇帝は、クスコの谷から南米の文明的なエリアのほぼ全域に統治を広げたそうです。そういえば、マチュピチュ村の初代村長は日本人の野内与吉という人で、その縁があって福島県大玉村とマチュピチュ村とは友好都市となったとのこと。つい最近のニュースで知りました。 

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駅前にはマーケットもありました。現地ガイドのマルセロさんは、マチュピチュは南米一物価が高いと何回も言っていましたし、前日お土産屋でたっぷり時間を取りましたので、ここではざっと眺めるだけでした。 

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集合は、最初はマチュピチュ駅前となっていたのですが、ホテルのロビーにということになり、ホテルへと戻りました。 

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前日夜遅くチェックインし、この日の朝は慌ただしくマチュピチュ観光に出かけましたので、ホテルの全貌を見ることができませんでしたが、このホテルに限らず、他のホテルも小山に挟まれた渓谷のようなところで肩を寄せ合っていることがわかりました。 

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大きなホテルではありませんが、村のホテルにしてはかなりオシャレで洗練されていました。マチュピチュの麓ですから、きっと料金はかなり高いと思われました。帰国後、料金を調べてみると1泊のルームチャージが25,000円くらいでした。 

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フロントを通り抜けると宿泊棟が左側に、レストランやバーは右側に配置されていました。口コミなどでもとても評判がいいオシャレなホテルでした。 

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私たちは時間がくるまでしばらくバーで時間を潰しました。 

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最終的にはロビーに場所を移して時間がくるまでボンヤリと通りを眺めたりしていました。

列車の発車時間まで5時間近くあり、マチュピチュ村散策は30分くらいで終わってしまい、とても長い待ち時間を過ごしました。もっと早い列車に乗りたいと思いましたが、この村で過ごした何もすることがない長い時間はとても印象に残りました。 

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2026年1月24日 (土)

旅の記憶 南米ペルー紀行 マチュピチュ・水路

2015年11/23(月) ゆっくりと時間をかけてマチュピチュでの空中散歩を楽しみました。 

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多くの人骨が発掘されていて、ほとんどは大人で50歳以上の年寄りが多く、ここでの生活はかなり健康的で平和的であったといわれています。いたるところで石が切り出され、組み立てられていますので、よほどたくさんの石工が居たと思われ、職人達はかなり遠方からも来ていたようです。 

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足下を見ると水路があり、僅かですが水が流れていました。水源はどこなのだろうかとまわりを見回したのですが、石と石組みの建物があるだけでした。おそらく豊富な山の水(地下水脈)と雨期の水を利用しているのだろうといわれています。 

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太陽神殿の全貌を見ることができました。1階部分は大きな石をそのまま利用して、2階部分はカミソリの刃も入らないといわれるくらい隙間なく石が積まれています。2階には窓が二つあり、左の窓から日が差し込む時は冬至、右の窓から日が差し込む時は夏至と区別できるようになっています。 

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よくよく眺めれば、マチュピチュは石の都市です。よほどたくさんの石工が働いていたと思われ、それにしてもこの都市の建設には膨大な時間がかかったと思われます。 

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太陽の神殿のようなスポットではガイドさんの説明が長くなり、ちょっとした渋滞が起こることもありましたが、ガイドさん同士の気配りと連携で観光客は比較的スムーズに流れていました。多分、世界中から観光客がどっと押し寄せていますので、慣れているものと思われました。 

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上の方で見た水路がここにも引かれていました。全部で16の水汲み場があるそうです。水がどの様に流れているかを知るには、たくさんの石をどけないとわからないともいわれています。やれやれです。 

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私たち素人がカメラを持って写真を撮っている姿はたくさん見ましたが、本格的なカメラを持っている人の姿はとても少なくちょっと意外でした。バッグやリュックの持ち込み制限のためか、あるいはマチュピチュの本格的な写真はたくさん撮られているためでしょうか。 

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マチュピチュ観光は、足が達者でないと大変かもしれません。ほとんどの道は上るか下るかで、ツアー仲間の1人は脚が攣っていました。 

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マチュピチュのシンボルのようになっている “若い峰” が随分近くに見えるようになってきました。その向こうには夏の積乱雲のような白い雲が湧き上がってきていました。

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“インティワタナ(太陽をつなぐもの)” といわれる一種の日時計と考えられている石です。処女たちを生贄にしたといわれる台座上の遺構も太陽を観測するものと考えられています。 

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ここは ”若い峰” の登山口で、しっかりとした門があり、門番もいました。ここでの登山は67時と1011時の2回に分けられ200人ずつという入場制限があり、入口で名前を書けばいいそうです。山頂には遺跡もあり、景色も素晴らしいために結構登る人がいるようです。 

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こんな石段を下るのにもおっかなびっくりですから “若い峰” 登山はとても無理です。 

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太陽の光を観測する鏡のようなツールが地面につくられていました。水が張られていて、太陽を見ることができ、マチュピチュは太陽を観測する都市という説を裏付けるものがここにもありました。 

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足下には、山肌に削られた細いバス道が見えました。この細い道をシャトルバスは何台もすれ違って行き来しているのです。 

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最後の居住地域の通路、大きな岩の姿をそのまま利用し、その下部や上部に石を積んでいる造形はセンスが感じられました。高度な技術を持ったたくさんの石工が遠方からも集められたとのこと。職人とともに都市設計のデザイナーやディレクターなどもいたことが想像されました。 

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3時間の空中散歩は終わりました。最後にマチュピチュの全貌を目に焼き付けました。

TVや雑誌などでよく見たマチュピチュ山は、山奥の高地に築かれたという天空都市という特異性だけではなく、石を切り出して組み立てた高度な技術の都市、斜面を有効利用した段々畑の都市、どこをどう通っているのかわからない水路が導かれている都市で、 “百聞は一見に如かず” でした。 

 

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2026年1月21日 (水)

旅の記憶 南米ペルー紀行 マチュピチュ・太陽の神殿

2015年11/23(月) 天空の都市といわれるマチュピチュに入りました。 

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マチュピチュは、アンデス山脈の尾根に築かれたインカ帝国の遺跡です。アメリカの探検家ビンガムという人が、この地域の古いインカ時代の道を探していた時、1911年に山の上にこの遺跡を発見したそうです。今からちょうど100年前のことです。

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アンデス文明は文字を持っていませんでしたので、この遺跡が何のために造られたのかわかりません。一つの説では、スペインに侵略されて追い詰められたともいわれています。外敵の侵入を見張るためか、尾根の突き出た見晴らしのいいところに見晴らし小屋があります。珍しいことに茅葺きの屋根でした。 

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上の方に上っていくと石が積まれた壁がいくつも直線的に並んでいました。マチュピチュ自体が、何のために造られたのかわかりませんので、これも何のためかわかりません。ここでの生活を想像してみたりしたのですが、皆目わかりませんでした。 

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アルパカがノンビリと草を食んでいました。このアルパカは賑わいを演出するためのものだそうですが、キッチリと管理されていて、もう少し大きくなると食べられてしまうそうです。 

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眼下の居住区から見るとかなり上の方に位置する場所では、建造途中の石壁が目につきました。

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1911年に発見されて以来、何のための都市なのかについてさまざまな説がとなえられてきました。要塞であったとか、太陽を崇める神官達が統治したとか。15世紀のインカ帝国時代のものですが、発見からまだ100年しか経っていないせいか、謎が多すぎるのです。日本の安土城は16世紀(1576年)のもので、それより1世紀古いのですが、それにしてもやはり謎が多すぎます。1911年に発見されて以来、何のための都市なのかについてさまざまな説がとなえられてきました。要塞であったとか、太陽を崇める神官達が統治したとか。15世紀のインカ帝国時代のものですが、発見からまだ100年しか経っていないせいか、謎が多すぎるのです。日本の安土城は16世紀(1576年)のもので、それより1世紀古いのですが、それにしてもやはり謎が多すぎます。

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遺跡への興味は尽きないのですが、マチュピチュが深い山の中にあることも興味がそそられます。発見したビンガムは古いインカ道を探したとのことですが、どんな道を辿ったのか興味があります。マチュピチュを取り囲む山々はインカ道でつながれていたとのことで、遠くに見える山の中には細い道があるはずです。 

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近くに見える山をよく見ると、トラバースするような細い道や草に覆われた石段などが見えました。現地ガイドのマルセロさんによると、インカ道トレッキング34日というコースもあるそうです。

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間近に見る居住区の遺跡は、とてもしっかりときちんと設計されているようでした。この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地や別荘であったといわれています。王族の生活を支える職員の住居もあり、最大で750人くらいが住んでいたのではないかと推定されています。 

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見晴らし小屋の下に並ぶ段々畑は畑です。ここではインカ農法が行われていて、大変収穫量を誇ったそうです。とても雨が多いところですので、土砂が流出しないような工夫が施されていたそうです。 

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観光客は想像したほど多くはありませんでしたが、少なくもありませんでした。しかし、遺跡の中は結構広いために、傾斜がきつい場所を除いてはほとんど渋滞はなく、快適に観光することができました。 

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場所によっては、足下に急斜面が現れ緊張する瞬間もありました。これだけの急斜面に雨が降ったら土砂崩れや土砂の流出が心配されるのですが、大丈夫とのこと。高所恐怖症の人には暮らせないようなところです。 

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見晴らし小屋を見上げるとその先にはマチュピチュ山が聳えていました。マチュピチュは、居住区を除けば急斜面のところが多く、雨の日の観光は大変だろうなあとも思いました。

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居住区の遺跡は、全て石が積まれ組み合わされたものですが、しっかりどっしりとしていて、600年の風雪にもびくともしていませんでした。遺跡の中を巡っていると、今でも生活している人が現れるような気がしてきて、600年という昔がそれ程遠い昔ではないような気がしました。 

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これは、建築用に切り出され整形された石です。マチュピチュは大きな岩山に築かれた都市なのですが、建築用の石材は、その岩山から切り出されました。 

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こちらは、斜面に沿って直線的に切り拓かれた段々畑です。非常に効率的な土地の利用が図られていたことがわかります。600年という歳月がそれほど遠いことのようには思われないのですが、それにしては謎が多いのです。 

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これは、太陽の神殿の周りを取り囲むように気づかれた石の壁。堅固な要塞のようにも見えました。

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マチュピチュは、なぜ急峻な山の上に造られたのかという問に対して、最近は高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に適し、かつ宗教的理念として、太陽に近いところということで、この場所が選ばれたといわれています。この太陽の神殿には、夏至と冬至が正確にわかる窓があるといわれ、太陽を使った暦を観測、作成したともいわれています。 

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これは、太陽の神殿の1階部分です。大きな岩をそのまま利用して、祭壇を造ったり石を積み重ねて補強したりと、随所に工夫が凝らされていいます。積まれた石の隙間にはカミソリの刃さえ入らないといわれるほど、石は隙間なく積まれています。

 

インカの神は日本と同じ太陽神であるため、太陽により近い山の頂は儀礼場として相応しく、神殿の畑(段々畑)で栽培された農作物は神への供物として栽培されていたか、神から下賜されたものとして人々が食べたともいわれていて、そのようなことから、現在、マチュピチュは宗教都市ともいわれているそうです。傾斜を上手く利用して拓かれた段々畑は、また別の色を帯びてきました。 

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2026年1月18日 (日)

旅の記憶 南米ペルー紀行 マチュピチュ・若い峰

2015年11/23(月) ツアー6日目、観光のハイライト “マチュピチュ” の日となりました。

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09:30 ホテルのロビーに集合。リマからクスコまでの飛行機移動、クスコからのアンデス山中ドライブ、電車によるマチュピチュ入りと、昨日の慌ただしさや疲れも一晩寝て癒やされ、元気に全員集合でした。ツアーコンダクターのYさんも現地ガイドのマルセロさんも張り切っていました。 

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マチュピチュへは、歩いて行くことを別にすればシャトルバスでしか行けません。決して広くないマチュピチュ村のターミナルにはシャトルバスがずらりと並んでいました。たくさんの観光客も私達も、比較的お行儀よくバスに乗り込みました。 

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定員分の乗客が乗るとバスは順次出発しました。 

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バスは発車して間もなく、大きな岩山の間を縫うように、グングン高度を上げました。こんな先に、人が住むなんて、ましてや空中都市ができているなんてやはり信じられない気持ちでした。

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ちょっとした広場のようなところがターミナルでした。TVなどでは観光客でごった返している入場口の映像をよく見ましたので混雑を覚悟していたのですが、朝早いせいか比較的空いていてホッとしました。入場するには小さなリュックや手荷物という制限がついていました。ペットボトルの持ち込み禁止ということも聞いていたのですが、それはOKで、入場に際して特にうるさくいう感じではなくおおらかなものでした。 

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入場口からは山の斜面を切り開いた道を進みました。マチュピチュの標高は2,430mで、前日のクスコが3,400mでしたので高度順応はできていて高山病の心配はまったくありませんでした。 

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眼下には、深い渓谷が見えました。私達が出発したマチュピチュ村にある貨物車の駐車場も見え、マチュピチュ村が渓谷に沿ってつくられた村であることがわかりました。

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マチュピチュの位置は、熱帯山岳地帯の中央に位置しています。 

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現地ガイドのマルセロさんが、マチュピチュはジャングルの中とよく言っていましたが、アンデスの山の中であり、たくさんの山が連なってやがてはジャングルになるということでしょうか。そのために天気が変わりやすく、23日前までは雨が降っていたそうです。目の前の切り立った山がどこまでも連なっている景観は、ここがとてつもなく山深い場所であることがわかりました。 

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上空を見上げると青空が広がっていて、ひときわ高い頂が天を突いていました。標高3,082mのマチュピチュ山です。マチュピチュ周辺の山には入場制限があってなかなか登山はできないそうですが、マチュピチュ山は制限がなく、穴場ともいわれているそうです。 

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やがて、石組みの壁や建物が現れました。ぎっしりと石は組み合わされていて、しっかりとした都市造りが行われていたことが想像されました。最初に思ったのは、やはりこんな山の中にということでした。 

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実際に歩いてみると、石段が多く、この都市の下と上ではかなりの標高差がありました。息苦しくはありませんでしたが、かなりの上りでちょっと息が切れたりもしました。 

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やがてTVでよく見た景色が目に飛び込んできました。マチュピチュは先住民族(ケチュア族)の言葉で “古い峰” というそうです。足下に遺跡が広がり、遺跡の向こうに聳える尖った山が “若い峰” で、標高2,720mです。  

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出かける前は、会いたい見たいと思っていた現場に立つとどんな気持ちになるだろうかと思うのですが、それほどの感慨はわかないもので、これはエベレストを初めて間近に見た時もそうでした。きっと、無我夢中で景色を見たり、今でも謎といわれる何の目的でこの都市がつくられたのか、そういったことを夢中で考えてしまうせいかもしれません。感慨は帰国してから数日して改めてズシーンとくるようです。

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何気なく見える石積みも、大きな石と小さな石を組み合わせて、かなり考えて組み立てられていました。この都市の周りにはこういった石組みのカ所が何ヵ所もあり、堅固な都市造りが行われたようです。TVなどでよく見るマチュピチュの景色に比べて、実際にはかなりダイナミックなものでした。 

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想像以上に石段が多く、燦々と降り注ぐ真夏の太陽の下での上り下りはかなり汗をかきました。疲れて石段にへたり込む人もいました。

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石段を上の方の上の方に上ってゆくと、標高2,720mの “若い峰” も同じくらいの高さに見えるようになりました。 “若い峰” の山頂には神官の住居跡と思われる遺跡や、マチュピチュの太陽の神殿に対して月の神殿があるそうです。

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上から足下を眺めると、段々畑の先はそのまま谷底に落ち込んでしまうかと思えるほど急傾斜でした。これは多分この岩山の地形そのままを利用したためと思われるのですが、こんなところでの生活は想像できません。 

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この段々畑の高さは3m40段あり、3,000段の階段でつながっているとのことで、想像以上にスケールの大きな遺跡でした。

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遺跡全体の広さは13km2とのことで、かなり広いのです。TVで、マチュピチュに行った人が “箱庭のよう” と言っていましたが、その人は何を見たのでしょうか。正面の “若い峰” に何人か上っている人がいました。登山制限がなかった数年前までは、墜落する人や自殺する人が随分いたそうで、現在は登山には許可が必要で、登山口には管理人がいるそうで、山頂まで往復すると23時間かかるそうです。

遠くから見ると小さく見えるマチュピチュ遺跡は想像以上にスケールが大きくまたアップダウンの標高差もかなりあるように思えました。見たり、知ることによって心が豊かになることがあります。憧れのスターやスター選手に会うことによって心が豊かになり、人生の励ましになったりすることがあります。最後の桃源郷といわれたパキスタンの山奥に咲いていた満開の杏の花、高く聳えていたエベレスト、このマチュピチュも同じようなものなのかもしれません。 

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2026年1月15日 (木)

旅の記憶 南米ペルー紀行 ペリーレール

2015年11/22(日) クスコの市内観光を終えて、アンデスの山の中を走り、ペリーレールに乗り換えてマチュピチュ村へと向かいました。 

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クスコ市内観光にたっぷりと時間をかけた後、バスはアンデスの山の中を走りました。どんな村があって、どんな暮らしぶりか見たかったのですが、バスは山の中の道を爆走しました。時々現れる住宅は比較的オシャレで、使っている建材も日干し煉瓦ではなく木材や漆喰が使われていました。 

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住宅が、通りに面して軒を連ねているような場所もあり、どこにでも見かける山村のようでした。 

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中には、邸宅といえるようなしっかりとした住宅もあり、アンデス山中の村というよりも高原の町のような雰囲気でした。 

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時折姿を見せる山岳の姿は美しく、ここがアンデスの山の中であること思い出させてくれました。 

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18:12 日が暮れかかる頃、目指すペリーレイルの駅がある町の灯が眼下に眺められるようになりました。マチュピチュ行きの出発時間は19:00でしたから、間に合うのかなと不安にもなった瞬間でした。 

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18:49 ようやく切符売り場にある駅舎に着いたのが出発10分前で、現地ガイドのマルセロさんはひどく慌てていました。なんでクスコであんなにノンビリしたのかなあと思いつつ、早足で歩いたのでした。 

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私達は予約をしてあるはずでしたので切符売り場に並ぶ必要はなかったのですが、何人かの現地の人が慌てて切符を買っていました。 

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18:51 出発9分前。プラットホームはお土産屋が並んでいる通りのまだ先でした。

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18:53 改札場では行列ができていて、それは自由席の行列のようで、私達は急げ! と促され、行列を避けてプラットホームへと急ぎました。 

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18:54 もうほとんどの乗客は乗り込んだようで、誰の姿も見えませんでした。プラットホームはなく、パスポートを見せ、地上からのステップを使って乗り込みました。 

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18:56 ハーハーいいながら乗り込んだのですが、私以外のツアー仲間はB号車でどういうわけか私1人だけC号車でした。乗客は全て外国人でした。 

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私の指定席券にはC48(C号車の48番:定員48人)とプリントされていました。私だけ外れクジをひいたような気分でした。それでも一人きりノンビリ寛げました。 

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知っている人が誰もいなくて外人ばかり、話し相手もいなくてボンヤリしていましたら前のシートの外人女性が気を利かせてくれて写真を撮ってくれました。

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C号車は最後尾の車両でしたので、後ろの方(トイレもありました)に行ってみると、灯りが灯っていて、何となく哀愁が感じられる夜の停車場の雰囲気でした。白いラインがあるところがプラットホームです。 

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20:57 窓の外は真っ暗で何も見えず、ボンヤリしていましたら終点のマチュピチュ駅に着きました。プラットホームに乗客がどっと出てきました。難民列車のようで可笑しくなりました。 

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誰も迷子になることもなくツアー一行が合流した後、ホテルへと向かいました。レストランの前にはテーブルが並んでいて、もう少し早い時間の列車に乗って、こういうところでノンビリできたらよかったのにとも思いました。 

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マチュピチュ村は、南米一物価が高いといわれているそうです。たくさんのホテルやレストランがあって、とても賑やかでした。 

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21:25 取るものとりあえず夕食にしました。スープとメインディッシュはポークの唐揚げで、私を含めて多くの人が食欲をなくしていました。 

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22:24 部屋はゆったりとして清潔でした。何はともあれベッドに潜り込みました。

ようやくマチュピチュ村に着きました。マチュピチュへのアクセスは鉄道のみになっていますので、できるなら車窓の景色を見たかったのですが、ツアー料金を低く押さえるために料金の安い夜のダイヤを選んだようです。多少高くなっても明るい車窓を見たかったというのが皆さんの意見のようでした。

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2026年1月10日 (土)

旅の記憶 南米ペルー紀行 クスコ観光

2015年11/22(日) リマから、アンデス山脈の光景を楽しみながらクスコに着きました。クスコは標高3,400mの高山都市で、高山病に気をつけながらの市内観光でした。

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クスコの飛行場で待っていてくれたのは現地ガイドのマルセロさんでした。日本に滞在した経験があり、日本語ペラペラの情熱的なゴッドマザーでした。 

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飛行場から観光の中心地までは大した距離ではありませんでしたが、専用バスで移動しました。こちらは夏で陽射しは強いのですが、空気はヒンヤリとしていて、街の光景は高山都市特有の乾いた雰囲気でした。 

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バスを降りて歩いて行くと、普段着ではない衣装を着た学生達の姿が目につきました。この日は日曜日でしたので何かのイベントがあったのかもしれません。リマから離れた高山都市ですので、ここに住んでいる人達はアンデスの先住民族の雰囲気を持っているのかと思っていたのですが、想像に反して垢抜けていたのです。 

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クスコの街は、きちんと区画整理がされていて、都市計画に沿ってつくられたものと思われました。何となくスペインの街角(行ったことはありませんが)が思い浮かびました。 

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アルマス広場には多くの人が集まっていました。そういえば、リマでもアルマス広場がありました。アルマスとはスペイン語で “武器” という意味で、スペイン植民地時代に、警備する兵士や彼らが持っていた武器にその由来があり、ペルーのどの町にも中心にはアルマス広場があるとのこと、スペイン統治がいかに徹底したものだったかわかりました。 

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アルマス広場の一角にある芝生と花壇、とても不思議に思ったのは標高3,400mといえば、日本でいえば森林限界で、雑草一つも生きられないのにここでは芝生も樹木も青々としていること。

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広場に面して立派なカテドラル(大聖堂)がある光景はリマのアルマス広場でも同じでした。違うのは、大聖堂の空と雲でした。青空が広がったかと思うと、白い雲が突然湧き出してきたりしていました。ここはアンデスの山の中でもあるのでした。 

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大聖堂の前には何かの儀式の清掃に身を包んだ紳士達が集まっていました。日曜日でしたので、ミサと同時に何かのイベントがあったのか、それにしても紳士達の表情や着こなしは、想像していたアンデスの高山都市に住む人達のイメージとはまったく異なるほど洗練されていました。 

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クスコの町では交通整理にあたっている婦人警官の姿などよく見かけました。この婦人警官はお店で買い物をしているのか、あるいは路上の販売が何か問題があって事情聴取しているのか。店先の少女の浮かない表情が気になりました。

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ツアーの皆さんと一ヶ所に集合手いると、小さなお人形やアルパカなどの手芸品や毛糸で編んだカーディガンなどを売っている物売りのおばさんが必ず寄ってきました。私達日本人にとってはかなり安いので、皆さん結構買っていてかなり商売になっているようでした。 

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アルマス広場で寛いでいる人達は、外国人旅行客を除けば近郊の人々と思われたのですが、皆さん垢抜けていて、生活も豊かそうでした。

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クスコの町は周りを山に囲まれていて、広場から放射線状に延びた街並みは丘陵に向かって少しずつ高くなっていました。整然とした街並みはやはりスペイン統治の賜物かもしれません。 

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事前にイメージしたアンデスの高山都市クスコに住む人々(ケチュア族)は、民族衣装に身を包んで観光客相手の商売をしていました。 

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ケチュア族の娘さんの代表的な商売は、手作りの工芸品を売るか写真を撮らせるかでした。ワンショット1ドルでした。腕には、アルパカと言っていましたがどうみても子羊を抱いていて、どの娘さん達も必ず子羊を抱いていて大事な商売道具のようです。現地ガイドのマルセロさんは、子羊は小さいうちから母羊から引き離され、大きくなったら食べられてしまうので可哀想と言っていました。 

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昼食は、広場に面したレストランでとりました。メインディッシュの他に、前菜としてヌードルやスープを選択できましたので、私は野菜をオーダーしました。出てきた前菜を見て、まるで酒のつまみでしたので、思い切ってビールを頼みました。 

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ここは標高3,400mですから高山病の心配はありますし、酔いが強くなる恐れもあったのですが、傍にいたドクターの卵のK子さんが “飲んでみたら!” と言ってくれましたので、思い切って飲んでしまいました。確かに効きはよく、暫くすると雲の上にいるようにフワフワとしてきました。 

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急遽、オプショナルツアーでは参加者が少なくて中止になった “フォルクローレ” の演奏を聞かせてもらえることになりました。とはいえ、あちらも商売ですので演奏後にCDを売り込んでいましたが、買う人はいませんでした。演奏は独特の哀調を帯びた音色とメロディーで、伝わってくるものがあり聴き応えがありました。 

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昼食後、日本人が経営しているお土産屋に立ち寄り、酔った勢いで民族衣装を着たのですが、まったく様にもなっていませんでしたし、雰囲気も出ていませんでした。 

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観光の最後はサントドミンゴ教会に立ち寄りました。ここはもともとはインカ帝国時代に太陽神殿であったところですが、スペインがその太陽神殿の上に建てた教会です。インカ帝国はクスコを中心に1430年代頃からつくられ1533年にスペイン人によって滅ぼされるまで100年という短命で終わりました。

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二重の扉をくぐり、神殿の大きな部屋に入ると、インカの世界観を表す金の板がありました。インカの世界観では、世界はコンドルが守る天上の世界、ピューマが守る地上の世界、蛇が守る地下の世界です。インカ帝国にはこのような黄金がたくさんありましたが、スペイン人によってことごとく持ち去られたとか。できたらもう少しインカ帝国のことがわかる博物館など見てみたかったのですが。

単なるアンデスの高山都市と思っていたクスコは、かつてのインカ帝国の中心地でした。しかしそれ故にスペインの統治により力が加わったのかもしれません。現地ガイドのマルセロさんに “ペルー人はスペインのことをどう思っているの?” とちょっと意地悪な質問をしました。答えは、現在は多くの人に中に、ペルーの血とスペインの血が混ざっているので、何ともいえないとのことで、マルセロさんのお祖父さんはスペイン人とのこと。 

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2026年1月 7日 (水)

旅の記憶 南米ペルー紀行 高山都市クスコへ

2015年11/22(日) ナスカの地上絵をしっかりと目に焼き付け、感動冷めやらぬままに300kmの道を戻り、次の目的マチュピチュ目指してクスコへと向かいました。

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17:17 ナスカから再びリマを目指して同じ道を300km、私達を乗せたバスは砂漠の道を快走しました。舗装されたこの道は、天空から眺めると砂漠の中をクネクネと這いずっているミミズのように見えた道です。

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18:18 夕陽が沈んでいきました。ペルーはアンデスの国と思っていましたのでまさか海に沈む夕陽を見るとは思いませんでした。バスの中は、早朝(04:30)に出発して往復600kmのバス旅と地上絵遊覧の曲芸飛行でグッタリしている人が多く、シーンと静まりかえっていました。 

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20:19 ホテルに着いて夕食をいただきました。前菜のサラダは美味しく、メインディッシュも焼き肉タマネギ炒めみたいな物でまあまあでした。 

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07:20 日付が変わって11/22(日)になり、三連泊したリマを後にしました。 

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07:48 リマ空港に着きました。前日の疲れを見せず皆さん元気でした。若い人は勿論そうでない人も皆さんお元気でさすがに旅慣れている人達ばかりでした。前を歩く、東京から来たOLさんお二人は、秘境好みとのことで、ケニアにも行ったという強者なのです。

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07:51 空港の建物に入ると人がびっしり、さすが南米有数の都市リマの玄関口です。搭乗手続きに時間がかかりそうでしたが、09:30発のフライトでしたので時間はたっぷりありました。

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09:01 搭乗手続きを終えて待合室で待っている間、ワンちゃんを見かけましたので飼い主に了解を得て写真を撮らせてもらいました。随分たくさん飛行機に乗りましたが、ペット連れの搭乗客は初めてでした。隣のおばちゃんの嬉しそうな顔。 

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09:16 飛行機に乗り込む搭乗通路は、いつも思うのですがまるで別世界への入口のようです。 

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10:03 クスコ行きLAN航空機は予定通り出発し、リマの飛行場と街並みを眼下に眺めました。帰路、まさかここでこの飛行機会社(LAN航空)にひどい目に遭うとは思いもよりませんでした。

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10:09 機体は、あっという間に雲海の上に出ました。リマからクスコまでは1時間20分のフライトですが、アンデスの山脈を見ることができそうで楽しみでした。 

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10:31 短いフライトですから何も出ないかもしれないといわれていたのですが、飲み物と軽食用スナックが出されました。

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10:44 雲の隙間から、白い雪をいただいた峰が時々見えました。 

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10:49 刻々と景色は変わりました。ゴツゴツとしたこぶのような山頂が連なったアンデス山脈。 

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10:56 アンデスの山脈を眺めているうちに滑走路が見えてきました。滑走路に周りには市街になっているようで建物がびっしりと建っていました。 

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11:08 クスコは、周りをアンデス山脈に囲まれた盆地のようなところに開かれた標高3,400mの高山都市です。富士登山で最も苦しさを感じる胸突き八丁(本八合目)と同じ標高です。ここから高山病との戦いが始まりました。 

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11:10 飛行機を降りると、先ず目についたのが旅行会社のカウンターで、クスコ観光は勿論マチュピチュ観光の手配もしているようでした。 

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11:22 預けておいたスーツケースを受け取ってから一仕事でした。マチュピチュに入るためには大きな荷物は持っていけませんので、ここで12日分の必要なものをスーツケース取りだし、スーツケースはしばらく預かってもらうことになっていました。 

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11:30 荷物の仕分けを終わって空港の外に出ると、出迎えの人達や現地ガイドさん達が待ち構えていました。とてもローカルな雰囲気で、アンデス山中の街に来たという感じがしました。

羽田を出発してから、このフライトで5回目の飛行機でした。飛行機がもう当たり前のような気分になっていました。ここまでは、何のトラブルもなかったですが。 

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2026年1月 4日 (日)

旅の記憶 南米ペルー紀行 ナスカの地上絵

2011年11/21(土) 今回のツアーの目玉の一つ、ナスカの地上絵を目にする瞬間がやってきました。イカという町は、県庁所在地で多様な文化を持った先住民が長い間住んできた町だそうです。また晴天日が多く、1年を通して温かい地域とのことで、ナスカはイカ郡の南部に位置する地域です。 

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地上絵遊覧の飛行機会社のカウンターには料金表が展示されていましたが、この日は17,000円とのことです。エベレストを眺めることができるヒマラヤ遊覧飛行の料金は24,000円くらいです。比べてみてどうでしょうか、高いのか安いのか。確かなことは、両方とも一見の価値があるということ。 

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カウンター脇に貼ってあったポスター、こんなにハッキリ見えるのかどうか、期待は高まりました。

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チケットの購入申し込みにはパスポートが必要で、同時に体重を量るため順番に体重計に乗りました。 

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間もなくすると搭乗券が渡され、そこには10人乗りですので110の座席ナンバーがプリントされていました。私はシート番号7でした。ツアー総勢16名は二つのグループに分かれ、私は最初のグループでフライトすることになりました。 

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飛行の順路と見える絵のmapが渡されました。この順路を飛ぶとすると、ツアーコンダクターのYさんが言っていた “曲芸飛行” の意味がわかりました。そして、飛行酔いの心配もありましたが、私はヒマラヤ遊覧やもっと小型の飛行機には何回も乗っていましたし、船酔いも含めて絶対大丈夫でしたので心配はしませんでした。他の皆さんには申し訳ないのですが、むしろ曲芸飛行大歓迎でした。 

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搭乗前の、副操縦士との記念撮影。もし墜落したらこれが最後の写真になるんだろうな、などとは決して思いませんでした。

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指定された座席に座った顔ぶれからみると、体重が重い人ほど前方のシートを指定されたようです。 

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待合室の2階からは、第二グループの皆さんが期待と不安の籠もった様子で見送ってくれました。 

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機体は轟音とともにフワーッと浮き上がり、あっという間にイカの町は眼下に広がっていました。地上を走っている時にはわかりませんでしたが、意外に街並みは大きく、たくさんの建物があるように見えました。 

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さらに驚いたことに、眼下には田畑が広がっていて、丁寧なパッチワークのようにとても綺麗に整備されていました。 

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やがて砂漠地帯上空に来ると、私達が走った道路は砂漠の真ん中の道で、まるでミミズが這いずっているようにも見えました。こういう景色を見るだけでも遊来飛行の価値はあります。 

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いつ地上絵が現れるか地上を注目していると、何もかもが地上絵のように見えてしまいました。 

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やがてやがて、最初に現れた「クジラ」は肉眼ではハッキリと見えたのですが、カメラで捕らえることができず、次に現れた「猿」はなんとか捉えることができました。この猿は、長さ55mとのこと。

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これは「宇宙人」、副操縦士が日本語でアナウンスしてくれましたし、肉眼でもハッキリと捉えたのですが、曲芸飛行の上にカメラのモニターでは砂上のラインはハッキリ見えず、カメラで捉えるのはなかなか難しかったのでした。

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これは「ハチドリ」で、なんとかカメラに写っていました。この規模は、長さ96mもあるそうです。

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これは「コンドル」か? 肉眼ではハッキリ見えていたのですが。 

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眼下に、地上から地上絵を眺めることができる見晴台が見えてきました。ここからは絵は斜めにしか見えないとのことで、そうだろうなあと思いました。

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やがて飛行機は帰路につきました。砂漠の中の道を走っている細い道に豆粒ほどの数台の車が見えました。地上絵は、1939年に発見されたそうですが、航空路ではない広大な砂漠の中でよく発見できたものです。地上絵はまだ他にもあるのではないかともいわれているそうです。 

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1時間近くのフライトを終えて、何と表現していいかわからないほど感動している中、第二陣の飛行機は離陸していきました。

最初に驚いたのは肉眼であんなに鮮明に見えるとは思ってもいませんでした。そして実際に地上絵を目にして、謎は深まるばかりでした。大体なんであんな場所に、誰が、何のために(雨乞いの儀式という説もありますが)。長さが数十メートルという絵の大きさは空から見ればわかることですが、地上で描く時にはとても難しいように思われますし、ハチドリや猿、宇宙人などと名前がついていますが、画いた人はそういう物を意識できていたのか、意図してそういう絵を描いたのか、疑問は深まるばかりでした。

大変だったのは、予想した通り、かなりの人が曲芸飛行ですっかり酔ってしまって、帰路に慌てて紙袋を口に当てていたり、地上に戻ったとたん長いすの上にのびてしまったりしていました。地上絵遊覧も大変なのでした。 

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2026年1月 1日 (木)

旅の記憶 南米ペルー紀行 イカへ

2015年11/21(土) ツアー4日目で、ようやくペルーの代表的な観光スポットに向かうことになりました。ナスカの地上絵があるイカという町を目指しました。 

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イカまでは300km、4時間の行程ですので04:30にホテル出発となりました。朝6時半という早朝のせいか、それとも砂漠の砂塵のせいか、高速道路の先はまるで霞がかかっているようでした。

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砂の大地を走ったと思ったら、すっかりと砂漠の風景となりました。この年の2月に行ったモロッコのサハラ砂漠と同じような光景が広がっていました。 

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陽は高くなりつつあったのですが、太陽は砂塵のためにボンヤリとしか見えませんでした。ナスカの天気は大丈夫だろうかと心配になりました。 

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砂漠地帯を抜けると緑の畑も見えてきました。ペルーは、ジャガイモやお米やコーヒー、アスパラガスやサトウキビなどを産出している農産国であり、アンデス山脈を抱える山脈の国(高原植物もたくさんあります)でもあり、海に面した国でもあり、砂漠の国でもあります。 

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時々、小さな町が現れました。町にはいろいろな物を売っている店やお店の人、何となく歩いているように見える人などがいて、見飽きませんでした。 

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ちょっと大きな交差点でも信号はなく、それぞれの方向の車が勝手に走っていて、それでも何となく統制がとれていて、車の流れをハラハラしながら見るのも楽しかったです。道は舗装されているようなされていないような状態で、土埃が舞っていました。 

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買い物ができたり食事ができるような店やトイレがあるきちんとしたドライブインは無いのではないかと心配していましたら、ちょうど中間地点くらいのところに大きなドライブインがありました。 

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中に入ると、軽食ができるようなスナックコーナーあり、ここではSushiも食べさせてくれるようでした。カウンターに座っているのはどうも個人旅行の日本人とガイドのように見えました。今回のツアーではあまり日本人のツアー客には出会いませんでした。やはりペルーは遠いからでしょうか。

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現地ガイドのミゲルさんお勧めのパイ包みのような物。パイ包みの中は野菜や肉などたくさんの種類があってどれにしたらいいか迷うほどでした。 

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私は、ビーフのパイ包みをオーダーしました。生地が薄く中身がどっしりと入っていて結構美味しかったのです。帰国してから調べてみると、ペルーは南米ではなかなかのグルメの国で美味しい物がたくさんあるとのことでしたが、ツアーではあまり食べる機会はありません。 

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ペルーの交通機関は、鉄道やバスなどの公共交通機関があまり発達していないようで、その代わりに小型のミニタクシーが至る所に走っていました。

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イカまでの300kmの道は、高速道路だったり、砂漠の中だったり、田畑の真ん中の道だったり、舗装されていない道だったりいろいろでした。このあたりりの道は舗装されているのですが見通しのいい一車線でした。大きなトラックがゆっくり走っていると、なんとかトラックを追い越ししようとしてカーレースのようなシーンがしばしば見られ、その度にハラハラしました。

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車が渋滞するような場所では、いろいろな物売りが車の側に寄ってきていました。トルコでも見た風景で、トルコでは花を売っている人がいましたが、ここではせいぜい新聞や飲み物くらいで、走っている車に近づいていましたので、それもまたハラハラしました。 

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ゆっくり走るトラックのために後続車が続く時もあれば、ほとんど前方に車が見えないので思いっきり走れる道もあり、遙か先まで見通せる道は気持ちのいいものでした。 

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さまざまに変わる町の風景は飽きませんでした。豊かそうな町やそうでない町、どんな生活をしているのだろうかと想像するのも飽きませんでした。舗装されていない土の道と土で作られた日干し煉瓦の家はたくさん見ました。 

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ここは比較的整備されている町で、道は舗装され、建物も区画整理された場所に建てられているようでした。首都リマを離れるとやはりインフラがほとんど整備されていないようで、この国はまだまだこれからなのだろうなあと思いました。そういえば、現地ガイドのミゲルさんによると、フジモリ大統領の時代には随分学校が建てられたとも言っていました。 

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ひときわ渋滞している交差点を右に入りました。 

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ようやく飛行場に着きました。リマを出発した時は砂塵のための空がどんよりとしていて天候が心配でしたが、飛行場に着いてみれば青空が広がっていて、風も微風状態で、絶好の飛行日和でした。

長いドライブでしたが、観光地ではない普通の町や人々の姿を見ることができ、とても楽しかったのです。飛行場について、地上絵を実際に見ることができると思うとワクワクしました。 

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