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2026年3月31日 (火)

旅の記憶 パタゴニア物語 海軍の街

2016年2/7(日) パンアメリカンハイウェイを北上して、マゼラン海峡を越えてブンタ・アレーナスという町に落ち着きました。 

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マゼラン海峡を越えてから、さらに長い道のりをバスはまっしぐらに進みました。この日は朝のうちはちょっと太陽が顔を出していたのですが、その後はほとんど曇りがちのどんよりとした天候でしたが、丸一日バス移動でしたので気になりませんでした。 

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世界中どこへ行っても見られる中華レストランが現れ、ブンタアレーナスという町に着きました。

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19:29 ようやくホテルに着きました。ウシュアイアを07:00に出発して12時間半、やはり国境越えには時間がかかりました。 

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宿泊したホテルは2階建てでこじんまりとしたプチホテルでしたが、いたる所に寛げるつくり、配慮がされていてとても居心地のいいホテルでした。 

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他に数人の宿泊客の姿が見え、ゆったりとこのサロンで寛いだりしていました。

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エレベーターホールも、そのままサロンになるようでもあり、とても感じがよかったのでした。世界中あちこち旅をしていろいろなホテルに泊まると、ホテルそのものが楽しみになっています。このホテルは小さいもののとても寛げるホテルでした。

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部屋もシンプルでしたが、インテリアなどさりげない工夫がされていて居心地よく感じました。 

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ホテルの部屋からの眺めは、どんよりとした空の下でガランとしていて、海に近いせいか霧に煙っているようであり、港町ということもあり寂しげで、しかしそれはそれで趣がありました。 

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20:24 一つのテーブルを囲んでの食事となりました。二組のご夫婦と7人の一人参加、合計11名のツアー仲間です。

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前菜は豆や野菜を肉で包んだもので、あっさりとしていて美味しく食べました。

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メインディッシュは白身の魚で、これもさっぱりと美味しく食べました。今回のツアーは肉料理責めも覚悟していたのですが、こういうように適度な間隔でシーフードや野菜が出てくるのはありがたかった。 

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デザートも甘みが抑えられ、これもさっぱりとしていました。 

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21:00 夕食後、表に出てみました。白夜のように明るかったのですが、人通りは少なくガランとした感じでした。ここは海岸線の防御のためにつくられた町で、位置的に軍の駐屯地としては最適なのですが、小さく山がちな半島の頂上に位置していたため、民間居住地が少ないとのこと。 

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翌日の朝食はバイキングで、質素でしたが朝食には充分なメニューでした。 

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この日の出発は10:00とゆっくりでしたので散歩に出ました。軍の駐屯地ということで、建物も頑丈で、煉瓦造りの倉庫が目立ちました。行き交う人は軍人(さすがにカメラは向けられませんでした)が多く、雰囲気が私の故郷横須賀にどことなく似ていました。 

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港に出てみました。ここから先は立ち入り禁止ということで、写真だけ撮らせてもらいました。この町には5ヶ所の軍関係の施設があるとのこと。

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ガランとした通りに、「KUMON」(公文?)の看板がありました。このブンタ・アレーナスという町の人口は13万人で、10万人以上の町としては世界最南端ということでした。それにしてもこんな遠い地球の裏側に「公文」とは。 

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調子に乗って、興味に任せて歩いているうちに道に迷ってしまいました。海軍関係と思われる軍人さんに道を聞くと、笑いながら丁寧に教えてもらいました。

ブンタ・アレーナスという町は、フライトによる南極へのベースになっているそうで、また年間を通じて風がとても強いそうですが、この日は穏やかでした。パンアメリカンハイウェイの北上ドライブはこの海軍の町で終わりを迎えました。 

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2026年3月28日 (土)

旅の記憶 パタゴニア物語 マゼラン海峡

2016年2/7(日) ツアーの5日目は、長い長いバスの旅でした。 

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パンアメリカンハイウェイを北上して、国境を越えてアルゼンチンからチリに入りました。さらに北上してマゼラン海峡を目指しました。 

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国境を越えてチリに入った時には道は舗装されていない道がしばらく続きましたが、ようやく舗装された道となり、快適なバスの旅となりました。 

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パンパ(草原)には様々な生物が棲んでいました。中でもグアナコは代表的な動物で、頻繁に見かけました。 

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羊や牛や馬、狐やウサギなど、パンパにはたくさんの生き物がいました。 

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どこまで行っても、どこまでも続くパンパにはあきれ果ててしまうほどでした。それでも、バスに揺られてこういう景色をボンヤリ眺めているのは好きなのです。 

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04:41 ようやく海に突き当たりました。これがマゼラン海峡。マゼラン海峡は、マゼランが1520年にここを通り、約660kmの海峡を40日間かけて通り抜け、太平洋と大西洋を繋げる海峡であることを発見したものです。どういうわけか私たち日本人には馴染みのある海峡です。

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ちょうど対岸(南アメリカ大陸)から来たフェリーが接岸して、こちら側のスロープにガリガリ(音はしませんが)と、接岸というよりは乗り上げていました。開いた船首の鉄板が下ろされると、トラックや自家用が上陸を始めました。とてもシンプルでわかりやすいフェリーでした。 

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私たちはバスを降りて、歩いて乗船しました。マゼラン海峡というかなり有名な海峡の割には建物がなく、実にあっさりと殺風景な船乗り場でした。 

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フェリーに乗ってみると甲板はとても広く見えました。 

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16:52 私たちが乗船した後、バスも上陸しました。後方の陸には、国境でとても時間のかかったチェックを受けていた大型バス(おかげで私たちは随分待たされました)が取り残されていました。どうやら次のフェリーで海峡を渡るようでした。

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人も車もあっという間に乗り込んで、いつの間にか出航していました。フェリーには船室はありませんでしたがトイレがあり、ドライブ中長時間トイレがありませんでしたので助かりました。 

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南アメリカ大陸側からはフェリーがこちらに向かって出航していました。2隻のフェリーは交互にピストン輸送で海峡を行き来していました。とてもわかりやすいシンプルなシステムでした。このマゼラン海峡は、チリ・アルゼンチン間の国境画定条約において、自由通行可能な海域とされ、国際海峡と認識されています。 

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マゼラン海峡は南アメリカ南端部とフェゴ島を隔てる海峡であり、内海ですので波はほとんどなく穏やかだったのですが、鳴門の渦潮のように潮の流れは速く渦を巻いていましたので、フェリーの操船はかなり難しそうでした。 

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フェゴ島側の船着き場辺りには建物が何もなく殺風景でしたが、南アメリカ大陸側にはいくつかの建物がありました。 

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フェリーは、ガリガリ・ゴリゴリという音も出さずとてもスムーズにスロープに乗り上げ、船首が開かれ、私たちもバスも上陸し、あっという間に空っぽになりました。どうやら、フェリーの構造に合わせて船着き場のスロープが造られたようです。とても合理的です。単純に橋を架ければとも思うのですが、アルゼンチンとチリとの国境問題や大型船の通行などの問題があるのだろうと思ったりもしました。

海峡というと、津軽海峡など何となくドラマ性を感じるもので、特にマゼラン海峡は世界で初めて世界一周を成し遂げた探検家マゼランが発見したものでしたし、その探検記など胸を躍らせて読んだ記憶がありましたので、もう少しドラマチックに感慨にふけるのかなと思っていたのですが、感慨に耽る間もなくあっという間に(30分足らず)海峡を渡ってしまいました。 

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2026年3月25日 (水)

旅の記憶 パタゴニア物語 国境越え

2016年2/7(日) 私たちを乗せた専用バスは、果てしなく続くパンパ(草原)を両側に見ながら、チリとの国境目指して快走しました。 

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草原は嫌というほどどこまでも続いていました。こういう景色は普段見ることができませんので、これはこれで気分のいいものでした。 

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10:40 ウシュアイアのホテルを07:00に出発して3時間40分、チリ側からアルゼンチンに入ってくる人の検問所がありました。

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そして少し進むとアルゼンチンとチリとの国境があり、チェックを受ける車の列ができていました。

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管理事務所の建物は殺風景で至極あっさりしたものでした。

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管理事務所の中では、チリからアルゼンチンに入ってくる人たちが行列をつくっていました。 

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12:07 この日の昼食は、ウシュアイアで仕入れたランチボックスだったのですが、生ものが入っていて、この生ものがチリ側に入国する時に引っかかる恐れがあるということで、急遽バスの中で食べてしまうことにしました。 

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私たちが食事をしている間に、現地ガイドさんが私たちのパスポートを持って行って、アルゼンチンから出国の手続きをしてくれました。24日に入国して7日に出国したというスタンプが押されていました。 

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バスの中で、チリ側に入国するための申告書に記入しました。 

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無事にアルゼンチンを出国して、国境緩衝地帯を走ってチリ側の国境に向かいました。あたりまえですがとても殺風景な道でした。 

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12:44 チリ側の入国管理事務所にも既に車の行列ができていました。 

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アルゼンチンからの出国手続きは簡単でしたが、チリ側に入国する手続きはかなり厳しそうでした。 

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私たちの一台前の観光バスでは、荷物が全部下ろされ、麻薬犬が荷物の一つ一つ、車内にまで入って検査が行われていました。これに時間がかかり、私たちは随分待たされました。そしてその後、この麻薬犬が私たちの荷物チェックをした後、車内にまで入ってきて同じようにチェックされました。

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個人の場合も徹底的にチェックされていました。 

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13:54 なんだかんだで国境通過に3時間くらいかかりました。チリ側に入って、チリ側で待っていたバスに乗り換え、逃げるように殺風景な風景の中を進みました。

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とてもとても殺風景な国境の町の一風景です。 

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チリ側に入って、両側にはパンパが広がり、その真ん中を真っ直ぐにパンアメリカンハイウェイは続いているのですが、この辺りは舗装がされていない道で、行き交う車は土埃を巻き上げて走っていました。

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パンパでは、牛がノンビリと横たわっていました。

特に悪いことをしているわけではないのですが、国境を通過するとホッとしました。それにしても国境越えは時間がかかるもので、まあ問題もなく3時間くらいですみましたので可としなければ。

 

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2026年3月22日 (日)

旅の記憶 パタゴニア物語 パンアメリカンハイウェイ

2016年2/7(日) ウシュアイアで連泊した後、氷河を目指して北上しました。

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ウシュアイアからパンアメリカンハイウェイを北上しました。アルゼンチンとチリの国境を越えてマゼラン海峡も渡ります。 

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06:26 部屋から眺めた夜明け前の景色は薄墨を流したようで、美しかったのですがハッキリしない空模様でした。 

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どんよりとした雲の切れ間から朝日が顔を出しました。この時はまったく風がありませんでした。 

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前日、青い海と青い空が見られたビーグル水道の景色もボンヤリとした灰色の世界でした。

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この専用バスに乗って、チリとの国境からマゼラン海峡まで移動することになっていました。 

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連泊したホテルを07::0に出発してパンアメリカンハイウェイを走り、30分もすると山の中の道となりました。いくつもの牙のような山や切り立った崖の裾に切り拓かれた道をバスは進みました。

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次から次へと尖った頂きの山が現れてきて、山岳ドライブのようでした。出発した時はどんよりしていた空も心持ち明るくなってきたように感じられました。 

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ハイウェイではありますが、半舗装状態で無料の道でした。この道が、マゼラン海峡を越えて、北米大陸を貫いてアラスカまで18,000km続いています。 

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08:23 ドライバーさんが車を止めて何やら始めました。暖房の利きが悪く調子を見ていました。前日は暑いくらいだったのですが、この日は暖房が必要なぐらい冷え込んでいました。 

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山の姿が少しずつなだらかに低くなってきて所々に湖が現れました。水面に雲が映って、湖面が雲海のようにも見えました。 

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09:11 出発して2時間、湖畔の畔に立つホテルでのトイレ休憩となりました。

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ホテルの敷地には色鮮やかな花が咲いていて、そういえばこの旅でこういう色を目にしたのは初めてのような気がしました。

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手摺りをつっついている野鳥はあまりこちらを警戒する風もなく、殺伐としたハイウェイを走ってきた後だけに気持ちが解きほぐされるような気分になりました。

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ワンちゃんもこちらに寄ってきて、すっかりノンビリとした気分となりました。 

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パンアメリカンハイウェイは、山岳地帯から視界が開けた草原地帯に入りました。ハイウェイの両側は見渡す限りの草原で、これが有名なパンパです。パンパはアルゼンチン中のラプラタ川流域に広がる草原地帯です。 

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あちこちで、パタゴニアを代表する “グアナコ” の姿が見られるようになりました。他に、ウサギや狐なども見ることができ、草原地帯は野生動物の宝庫でした。 

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道は、真っ直ぐ真っ直ぐどこまでも真っ直ぐ続いていました。

アラスカまで続くパンアメリカンハイウェイは、走るごとに景色が変わり、パンパでは様々な野生動物が生息していました。アラスカまでの18,000kmの道は、どんな景色になっているのかちょっとした興味が湧きました。

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2026年3月19日 (木)

旅の記憶 パタゴニア物語 ウシュアイア散策

2016年2/6(土) ビーグル水道のクルージングの後、ウシュアイアのレストランで食事をして街中を散歩しました。

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昼食のために入ったレストランはウシュアイアで最も人気のあるレストランとか、店の入口には何の肉か大きな塊が炙り焼きされていて期待が持たれました。 

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店内には赤ワインがドサッと並べられていて、これもなかなかいい雰囲気でした。 

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早速お勧めの赤ワインで乾杯しました。隣の飲んべえS氏は、余程お腹が空いていたのか乾杯もそそくさと前菜をパクついていました。

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前菜はバイキング形式になっていて、好きなものを好きなだけということになっていました。 

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メインが肉でしたので、前菜には野菜とムール貝などを皿に盛りましたが、肉の量が多そうでしたので控えめにしました。 

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私は、比較的マトンが好きでしたし、この先ビーフステーキは何回も出てくると思われましたのでマトンを選びました。血詰めのソーセージは、好きな人は大好きになると聞いていたのでソーセージは血詰めのソーセージ(こちらではチョリソといっていました)にトライしてみました。食感はまったりとしているのですが、味はイマイチでした。 

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デザートは、こちらではポピュラーなメロン、スイカ、リンゴなど馴染みにあるものでした。 

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たっぷりの肉を食べてお腹が一杯になった後はウシュアイアの見物に出かけました。真夏とはいえもう少し寂しい “最果て感” を想像していたのですが、町の上空には青空が広がり、強烈な陽射しが降り注いでいて、南の果ての町というイメージとは随分違っていました。 

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対岸の港が見える小高い丘に登ると、ウシュアイアの港と町と背後の山脈が綺麗に浮かび上がっていました。まるでイタリア・ナポリのような美しい景色でした。

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近くに飛行機の練習場があり、小型飛行機が気持ちよさそうに離着陸の訓練をしていました。のどかな雰囲気でした。

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さらに高いところにある展望台に上ると、気温が上昇したためかビーグル水道の青と空の青も島影も同じような色に溶け合っていて、ブルーの色一色の水彩画のようでした。 

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専用バスで町の中に移動しました。目についたのが壁に書かれた絵でした。日本の幼稚園かなと思わせるようなタッチに親近感を覚えました。 

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この日は土曜日のせいか車が多く見られました。駐車場というものはなく、ほとんどが路駐とのことでした。 

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目抜き通りの一角にお土産屋があり、観光客や地元の人で賑わっていました。私は、お土産にはTシャツ一枚を買うことにしているのですが、気に入ったものはありませんでした。 

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ペンギンはこの町のシンボルにもアイドルにもなっているようでした。手描きで画かれているところが躍動感があっていいです。 

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町のあちこちの壁には必ずと言っていいほどペイントされていて、独特の雰囲気を醸し出していました。 

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ペイントの中には結構しっかりと芸術的なものもありました。 

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土曜日の午後、どこの町にでも見られるファミリーたちの楽しそうなお出かけ姿がここでも。きっと厳しい冬の時期から夏になり、最も過ごしやすいシーズンを迎えて気持ちも浮き立っていることでしょう。

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車が規制されているのか、車の往来が少ない目抜き通りは1kmくらいの長さで、道の両側にはいろいろな店が並んでいました。気がつけばダルマのMさんが、道端のベンチにドッカリと腰を下ろして日向ぼっこしていました。 

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ダルマのMさんに写真を撮っていただきました。Mさんはアマチュア写真家のようで、いろいろなカメラを携えていて、以降、随分私の写真を撮っていただくことになりました。 

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ぽかぽか陽気の中、ビーグル水道クルージングと町の散策でほどよい疲れとノドの渇きを感じ、ホテルに戻っての夕食にはビールでのどを潤しました。こちらのビールもなかなかいけました。 

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夕食の前菜は “ビーフのカルパッチョ” でこれも美味しかったのですが、昼食にマトンをたっぷり食べましたので夕食はこの前菜だけに留めました。その結果、以降の日々、胃が疲れずにすみました。

南の果ての町は、真夏の好シーズンということもあり、好天気にも恵まれたということもあり、明るく陽気なものでした。真夏ということや好天気ということを割り引いても、例えば北海道の根室や釧路で感じるような “最果て感” が少ないように思えました。それは、ここに多くの観光客が訪れているからかもしれません。 

 

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2026年3月16日 (月)

旅の記憶 パタゴニア物語 ペンギンコロニー

2016年2/6(土) ビーグル水道は180年前にダーウィンが通った海路、この日の天気は無風快晴と絶好のクルージング日和でした。

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青い海そして紺碧の空。これ以上何を望めばいいのだろうかという美しい景観でした。 

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あちこちに水面に顔を出した岩礁に、白と黒の色模様の生き物が何となく動いているのが見えました。ペンギン?と思ったのですが。 

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船が近づいてよく見るとウミウでした。ウミウが2本足で立っている姿はまるでペンギンでした。

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これ以上ないクルージング日和に、船上の観光客たちも大はしゃぎで、とても賑やかでした。 

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ビーグル水道という名前の通り、ここは外洋に面しているわけではなく内海ですので風がなかれば静かなもので、その静かな水面を切り裂くように高速クルーズ船は徐々にスピードを上げました。 

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途中、アルゼンチン海軍の練習用の帆船に出会いました。所々に小さな氷河が白く輝く山脈を背景に、もし帆を満帆に張ったら、碧い海と青い空の中でさらに美しい姿を見ることができたのにと贅沢なことを考えてしまいました。

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海面は穏やかだったのですが、上空は多少風があったのでしょうか、パタゴニアには似つかわしくないか細い儚げな雲が幾筋か水平に流れていました。

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次から次に現れる岩礁の上には何かしらの生物が棲みついていて、ここはオタリアのコロニーでした。 

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暖かい陽射しを浴びて、これ以上ないというくらいグッタリと体を横たえていました。きっととても気持ちが良かったのでしょう。

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私たちが乗った高速クルージング船は2階建てで、私たちは2階のVIPルーム(そういう貼り紙がセロテープで貼ってあっただけなのですが)を割り当てられました。売店やトイレは1階にありましたので下に降りてみると、普通席もとても快適でした。 

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低い丘陵をもつ島に近づくと、浜辺には点々とごま粒ようなものが見えてきました。 

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ごま粒のよう見えたのは「マゼランペンギン」の群れでした。よく見ると一羽一羽はそれぞれ自分の周りに一定のスペースを確保していました。

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まるで私たちを見学でもしようというかのように浜辺にもゾロゾロと・・・。 

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私たち観光客も船縁から体を乗り出して、ペンギンたちとご対面となりました。どちらが見ているのか見られているのか。 

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一羽一羽をよく見ると、首をかしげたりボンヤリしていたりと人間と同じように個性があるようで可愛いものでした。 

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中に、クチバシが赤く足がオレンジ色のペンギンがいて、これはジェンツーペンギンという種類で70羽が生息しているそうです。 “ジェンツー” という言葉は、ポルトガル語で異教徒というそうです。いわば少数民族で、仲間はずれにされないのかとかいじめはないのかと心配になりました。他に皇帝ペンギンも数羽いるとのことでしたが見つけることはできませんでした。 

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これだけのペンギンやオタリアやウミウが生息しているということは、この海域には餌となる魚などが豊富にあるということで、ペンギンたちは陸上の姿からは想像できないスピードで海中を泳ぎ回って餌を捕食していました。 

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船上はペンギンの出迎えにお祭り騒ぎでした。小さな船は上陸できるのですが、大きな船は上陸できず、私たちは上陸できませんでした。

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一通りの生物ウオッチングを終えて船室に戻ると、ウイスキーケトルを持ち込んでコニャックを旨そうに飲んでいる奴が。私も酒飲みですが、私以上の飲んべえがいたとは。

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今回のツアーには男性は6人(女性は5人)が参加していましたが、さすがパタゴニアまで来ようという人はよく言えば個性的、悪く言えばアクが強くワガママ、勝手し放題という人が多く、中でも代表格だったのがこのお二人。私の前に座ったダルマさんのような人は東京から参加のMさん、奥のサングラスの強面は関西から参加のSさん(ウィスキーケトルの持ち主の飲んべえ)。このお二人とはとても仲良くなり、楽しい旅となりました。

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ウシュアイアの港に戻る途中、途中の小さな港で下船する人たちもいました。その桟橋にいたおじさんも味のあるおじさんでした。南の宛ての郵便局の局長おじさんも味がありましたし、こういう人がいると気分がホンワカとして、この地域に親しみを感じてしまいました。 

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私たちは、ビーグル水道の景色もそこに暮らす生き物たちの姿に感動して、無事に帰港しました。港の背後の山にはいつの間にかパタゴニア名物のモクモク雲が湧いていました。

かつてこの水路を辿ったダーウインは、豊かなこの海域の豊穣さにきっと驚き歓喜したことと思われました。 

 

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2026年3月13日 (金)

旅の記憶 パタゴニア物語 ビーグル水道クルーズ

2016年2/6(土) ツアー4日目は、ビーグル水道クルーズに出かけました。 

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前日はちょっとハードなスケジュールでしたので、ぐっすり眠って気持ちのいい朝陽で目が覚めました。

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窓を開けると朝のヒンヤリした空気が入ってきましたが、前日吹いていた風はこの日は止んでいました。 

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窓からの景色は、前日モクモクと湧いていた雲もなく、青空が広がっていました。この日は目の前のビーグル水道クルーズ予定で、雨や強風だったら嫌だなあと思っていましたので、天気が良さそうでホッとしました。 

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朝食後、散歩に出てみるとホテルの背後の山から雲が少し湧いてはいましたが、青空の方が多く、天気は大丈夫そうでした。 

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ホテルの目の前のビーグル水道も穏やかで、その向こうに見える山脈の上の雲はゆっくりと動いていました。 

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07:27 朝日が上がってきて、いつの間にか湧いてきた雲の隙間から光が射してきました。ダイナミックに変わる雲の動きは、パタゴニア特有のものだそうです。 

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専用バスに乗って、ウシュアイアの市街を抜けて港へと向かいました。この時期の南米は日暮れが遅く、遅寝遅起きの傾向にあるとかで、町はまだ眠っているようで、椎名誠が見たという放し飼いのワンちゃんもまだ眠っているようでした。この町の人口は7万人とか。 

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清潔でゆったりとしたウシュアイアの町、ゆっくり散歩してみたいものでした。青空が広がり風もなく、想像していた南の果ての町とは違ったイメージでした。 

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港に着いて、私たちはバスを降りて船着き場に向かいました。

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私たちは高速クルーズ船に乗り込みました。海は待った穏やかで、風が吹いていませんでしたので上着がいらないほどでした。 

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港には大型クルージング船が停泊していました。最果ての町の観光や氷河見物などに訪れているようで、前日も囚人列車にこのクルージングの観光客がたくさん乗っていました。 

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振り返って見ると、海面はまったく波もなく静かで、このビーグル水道は太平洋と大西洋を繋ぐ240kmの内海であるため、風がなければとても静かなのです。振り返って見た景色は、どこかで見たことがあると思ったら、北欧で見たフィヨルドの景色とよく似ていました。 

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港からかなり離れると、高速艇はグングンとスピードを上げました。 

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今からほぼ200年前、この水路をダーウィンは航海しました。どんな景色や生物が現れるか楽しみでした。

風はなく、雲もなく、青く澄みきった空、パタゴニアもこんな表情を見せてくれるとは思っていませんでした。戸惑いはありましたが、クルージングはやはり青空の下でこそ楽しめるものでした。 

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2026年3月10日 (火)

旅の記憶 パタゴニア物語 地果て道終わる

2016年2/5(金) 最果ての地の観光はまだまだ続きました。最後にこれこそ南の果てという地に向かいました。 

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最果ての郵便局で絵はがきを投函して一仕事終えたような気分になって再びバスに乗り込みました。空を見ればいつもいつも白い雲が湧いていました。 

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現地ガイドさんと添乗員のHiromiさんにリードされて少し散歩しました。 

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これは、ビーバーが堰き止めて造ったダム湖です。流木を巧みに集めてダム湖を造り、ビバーたちは自分の住まいにしていました。そのスケールの大きさにビックリしました。 

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ダム湖には枯れ木が目立ち、まるで上高地・大正池のような景観でした。 

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ダム湖だけではなく、草に覆われた大地にも枯れ木が目立ちました。それだけ自然環境が厳しいということでしょうか。 

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しばらく歩いて行くと、国立公園の看板があり、一番下にはブエノスアイレスから3,079km、アラスカから17,848kmという表示がありました。ここはパンアメリカンハイウェイの終点であり、始まりの場所でした。

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パンアメリカンハイウェイは、ここアルゼンチンの最南端の地から南北アメリカを貫いてアラスカにいたる幹線道路です。

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埃まみれのおじさんが大型バイクから降りてきて、聞けばパンアメリカンハイウェイを走り抜けてきたとか。

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この地を南極点を中心にして天空から見ると、南極に最も近いところです。 

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パンアメリカンハイウェイはここで終わり、ここは “ここで地果て道が終わる” 場所でした。渺々と風が吹き抜けていて、遂にここまで来たかととても感慨深く思いました。

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この先1,000km先には南極大陸があります。 

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国立公園内にある観光名所となっている湖に寄りました。湖の向こうから雲が次から次へと湧いてきて、みるみる上空を走りすぎて行き、天空ショーを見ているようでした。 

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20:13 ホテルに戻り夕食となりました。まだ旅が始まったばかりでしたが、ツアー仲間とはすっかり打ち解け、飲んべえ同士乾杯しました。

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前菜はカボチャのスープでした。味は比較的あっさりしていました。 

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メインディッシュはサーモンで、とても美味しかったのでした。昼食にビフテキを食べましたので胃に優しい魚料理でありがたかったのでした。 

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デザートはチョコレートでコーティングされたアイスクリームで、木の実が入っていて濃厚な味で、疲れた身体にはこれもありがたかったのでした。

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食後(21:32)、ホテルの外に出てみるとホテルの背後には厚い雲が広がっていましたがその割には空は明るかったのでした。この時期の日暮れは21時過ぎで、まだ空は明るく、そのために食事はほとんどが20時過ぎになるということでした。 

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ビーグル水道の向こう側にの山脈には雲がかかっていましたが、大きな空のほとんどに雲がなく、明日も天気は良さそうでした。パタゴニアの天気は荒れ模様で雨も降りやすいと散々言われていましたので覚悟していたのですが、風が強いことを除けば特に問題はありませんでした。強い風が雲を蹴散らしてくれているようでもありました。

この日は、長いフライトの後、朝02:00に起きて国内線に乗って最果ての地に降りたってと、長い一日でしたが、あまり疲れも感じず、充実した一日でした。 

 

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2026年3月 7日 (土)

旅の記憶 パタゴニア物語 最果ての郵便局

2016年2/5(金) 私たちは、太平洋と大西洋をつなぐビーグル水道に面したホテルから最初の観光に向かいました。専用バスで移動して着いた先は、“SL 世界の最果て号” の始発駅ウシュアイアでした。

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世界各国からの観光客が結構いて、わざわざ最果てに来る物好きがこんなにいるとは思いませんでした。後で知ったことですが、この町には大型クルーズ船が入港していてその観光客の皆さんでした。 

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観光客でごった返す駅構内にオルガンのメロディーが流れていて、私と目が合うと日本の曲(中国の曲が弾かれずによかった)を弾いてくれました。これはきっとチップを渡すんだろうなあと後で気がついてシマッタ!と思いました。 

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私たちが乗ろうとしていたのは「囚人列車」でした。このガイドブックには、「囚人列車だった歴史を蘇らせ、ジグザグのピポ川、マカレナ滝、季節ごとに色が変わる木の葉の森、泥炭地の黄土色から際立つ山々などフェゴ島独特の自然の景色を、その時代の鉄道の蒸気機関車に乗り、過ぎ去った良き時代をお楽しみ下さい。」と書かれていました。 

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かつての囚人列車は、今やすっかり様相が変わり、観光列車になっていました。かつて黒部ダムの建設作業に使われた黒部のトロッコ列車は窓がなく、当時の趣を残すものですが、この囚人列車には当時の面影がまったくないのが残念。 

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囚人列車とは、1900年代初期にかつてこの地域の森林開発と木材を伐り出すために囚人が動員され、囚人の運搬と木材の運搬に使われたためにそう呼ばれています。私たちは当時の囚人とは異なって、温かい客室でぬくぬくとしていました。囚人体験ができたら面白かったかも。 

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おとぎの国のようなミニ機関車などもあったりして、まあ素直に童心に帰って楽しもうと思いました。

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フェゴ島特有のこの景観を、かつての囚人たちはどんな想いで眺めたのでしょうか。心癒やされたのか、かえって望郷の念が募ったのか。

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当時の写真を見るともちろん天井も窓もなく、単なる台車だけの剥き出し状態でした。当時に近い台車だけの剥き出し状態だったらもっと当時の面影と自然を体感できたのではないかとも思いました。あちこちに伐採された後の切り株が白く朽ち果て、まるで太い胴骨のように点在している景観は生々しいものでした。 

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景色を楽しみつつ、当時に思いを馳せているうちに終点に着きました。昨年北欧を旅した際やはり列車に乗った時、有名な滝で列車が止まって写真タイムとなった時、なんと妖精が現れてちょっと鼻白んでしまいましたが、旅は楽しむものでそれほど目くじらを立てるものではないかもしれません。

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囚人列車から、先に待っていた専用バスに乗り換え、自然の景観を楽しみつつ “最果ての郵便局” へと移動しました。 

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その郵便局は、南の果てに一歩でも延びようとするかのように、冷たい波が押し寄せる海辺にはり出ていました。最初想像したのは町の片隅にであるかと思っていたのですが、町とは離れて孤立的にありました。 

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海辺にはり出た桟橋の先には小さな小屋があり、これが局舎でした。救命用の浮き輪があるのがご愛敬でした。

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最も興味があったのがどんな人が働いているのだろうかということでした。白い顎髭を生やしたいかにもという感じのおじさんというかおじいさんというか。日本へ出したいというと、電卓で$払いの金額を素早く計算してくれ、実に手慣れたものでした。奥にもう一人若い局員がいました。 

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前もって書いたおいた絵はがきには、切手を貼る充分なスペースを空けておいたのですが、それでも足りないくらい大きな切手が4枚でした。 

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切手を貼り終えた絵はがきは、私には懐かしい郵便ポストに投函したのですが、よく見ると局舎の救命用の浮き輪の下にも小さな郵便ポストがありました。ツアー仲間で冗談を言い合う仲のいい奴がいたのですが、私が投函した郵便ポストは1ヶ月に1回か1年に1回しか集配しないとインターネットに書かれていたといい出しました。後で真っ赤な嘘だということがわかってホッとしたのですが、それでも絵はがきが南の果てから地球を半周していつ着くのか、そもそも着くのかも興味がありました。 

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そしてそして、何人かの方から絵はがきが届いたという連絡をいただきました。20139月に同じ西遊旅行社のチベットツアーでご一緒した姉御さんから “絵葉書が届きました。アルゼンチンからの絵葉書は初めてです。自慢できそうです。” というメールをいただきました。投函したのが2/6でしたからほぼ2週間で着いたことになり、地球の裏側からにしては早い到着にビックリすると共に、安心しました。最近の姐御さんといえば、イランやパキスタンのビザを取得して何回も出かけているとか。不思議なことをしています。

SL 世界の最果て号” に乗って “最果ての郵便局” にと、あまりにもできすぎた話ですが、これも旅の楽しみというものです。地球の裏側からの便りが2週間で届くとは、地球も狭くなったのでしょうか。それにしてもブログ掲載の前に届くとは思いもよりませんでした。

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2026年3月 4日 (水)

旅の記憶 パタゴニア物語 ビーグル水道

2016年2/5(金) 私たちはフェゴ島に降り立ち、太平洋と大西洋をつなぐビーグル水道に面したホテルにチェックインしました。

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ビーグル水道に面して佇む低層のシンプルなホテルに二連泊して、ここをベースに最南端の町の観光をすることにしました。 

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木目を生かしたシンプルなホテルは居心地よく感じました。ここで連泊することによって長旅の疲れも癒やされそうでした。 

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部屋の窓からの眺めも美しく、ゆったりとした気持ちにさせてくれるもので、次から次へと現れては消える雲を眺めているだけでも幸せな気分になりました。 

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ホテルのレストランで、添乗員のHiromiさんをはじめツアー仲間の何人かは、今日訪れることになっている “世界最果ての郵便局” で出す絵はがきを書いていました。 

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私もホテルのフロントで絵はがきを買って、宛名とメッセージを書きました。 

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昼食前の一時、ホテルから表に出ると相変わらず強い風が吹いていて、目の前のビーグル水道は白く波立っていました。このビーグル水道は、太平洋と大西洋を240kmの長さでつなげているもので、進化論のチャールズ・ダーウィンが1831年から1836年にかけて行ったビーグル号による地球一周の航海の際の経路で、この水道の名前は同船の名前に由来しています。 

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ビーグル水道の右方向に目を転ずると、海の向こう側の山脈はどこまでも広がっていて、その上を白い雲が飛ぶように流れていきました。最果ての地に一人佇んで風の音を聞いていると、とても不思議な感覚に襲われるのでした。

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海辺では、強い風をものともせず鞍も付けない野生の馬が調教されていました。この先、アルゼンチンやチリで野生の馬やそれを調教するガウチョを時々見かけました。 

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昼食の時間となり、とりあえずの乾杯となりました。 

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前菜の野菜スープはさっぱりしていて胃に優しい感じがしました。 

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ついに出ましたビーフステーキでした。野性的で歯ごたえがあり、あごが疲れましたがジューシーでもあり、美味しく食べました。 

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デザートはチーズケーキ風アイスクリームで多少甘かったもののこれも美味しく食べました。ホテルレストランでの初めての食事はまあまあで、これから先期待できそうに感じました。 

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レストランから外を眺めると、雲がどんどん湧いてきていて、襲いかかってくるようでした。パタゴニア地方は風が強いだけではなく天気も変わりやすく、雨も降りやすいと聞いていましたので、防寒・防水着はしっかりと準備してきました。強く吹き流れる雲を見ていると、この日、よく飛行機が飛んだものだと思いました。 

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足下の草花も強い風に吹きさらされていましたが、強く根を張ってしなやかに靡いていました。

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ホテル前には、これからの観光の足となる専用バスが待機していました。添乗員さんを含めて総勢12人には贅沢に思えるほどでっかいバスでした。

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バスの外に広がる景観は、手つかずの自然と絶え間なく流れている白い雲で、見飽きることがありませんでした。 

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最初の観光は、“SL 世界の最果て号” の乗車でした。その駅舎はおとぎの国のもののように可愛いもので、大自然の中にいきなり現れ、意表を突かれました。

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ホームには “ウシュアイア” という駅名が書かれていて、このウシュアイアは、世界産南端の町といわれています。

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旅には、特に長い海外旅行には何冊かの本を持っていきますが、そのうちの一冊「風の道 雲の旅」(椎名まこと)に、このウシュアイアのことが書かれていて思わずニヤリとしました。今回、ウシュアイアの街中を散策する時間はなく、椎名誠が書いている状況にはお目にかかれませんでしたが、その先の旅でしばしばお目にかかることができました。椎名誠は、おそらく日本で一番秘境的な所に出かけている人だと思うのですが、彼がどこかの新聞で “世界で一番印象的に好きな場所” としてパタゴニアを挙げていました。 

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ホームからは、ゴツゴツと聳えている山に向かってレールが延びていました。

最初の観光のベースとなったウシュアイアは、ビーグル水道に面したフェゴ島という島にあり、絶えず強い風が吹いていました。年間を通して風が強く、その風の強さがパタゴニアの代名詞ともいわれています。最大風速が60m/sを越えることも珍しくないそうです、人間は40m/sを越えると飛ばされることもあるそうです。この先、どんな風が出会えるのか楽しみでした。 

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2026年3月 1日 (日)

旅の記憶 パタゴニア物語 最果ての町

2016年2/5(金) アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから、パタゴニア地方の世界最南端の町ウシュアイアを目指しました。 

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02:47(現地時間:以下同じ) 前日、超長距離フライトでようやく辿り着いたホテルでしたが、ほんの数時間の睡眠で眠い目をこすりながらの早起き、早朝出発となりました。 

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03:06 この日は、パタゴニア地方・フェゴ島にある世界最南端の町ウシュアイアに移動するため、国内線の飛行場に向かいました。添乗員のHitomiさんも現地ガイドのU・スランジさんも仕事とはいえ朝早くから大変でした。 

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予定スケジュールではブエノスアイリスから飛行機で一挙に南下して世界最南端の町ウシュアイアに一度落ち着いてから、じっくりと北上しようというものでした。 

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03:13 予定では04:40分発のLAN航空に乗るということで、まだ搭乗受付カウンターがオープンする前に私たちは並びました。何故こんなに早い便に乗るかといいますと、このフライトルートの天候の変化が激しく、時として欠航ということもあり、欠航の場合にはバスでの長距離移動に変更せざるを得ませんでしたので、早めに行動ということになりました。

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朝食は、地元の日本料理屋が作ってくれたおにぎり弁当でとりあえずの腹ごしらえをしました。機内食にウンザリしていましたので、ありがたく美味しくいただきました。 

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03:48 搭乗受付が始まりましたが・・・。LAN航空といえば、前年南米ペルーに行った時、LAN航空の遅延によって予定の便への乗り継ぎができずにロサンゼルスで一泊するというハプニングがありましたので嫌な予感がしていたのですが、案の定、2時間遅れるというアナウンスがありました。 

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06:15 予定よりも2時間遅れながらも出発することができ、バスによる長距離移動をしなくてすむことになり胸をなで下ろしました。途中で引き返すということのないように祈りました。 

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06:32 機内から見たブエノスアイレスの町は、夜が明けようとしてとしていました。天候が荒れやすいといわれていましたので、天気が良さそうで安心しました。

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07:55 ブエノスアイレスの国内線空港を飛び立ってほぼ1時間、雲海の上に出ました。フライト時間は3時間45分と比較的短いものでしたので、席は窓側を取りました。何より、憧れのパタゴニアを空から見たいと思ったからでした。

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08:01 軽食が出ました。早朝に日本食のお弁当を食べたばかりでしたので、酒のつまみになりそうなスナック菓子だけ持っていくことにしました。 

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09:46 雲海を抜けると、眼下にはパタゴニアの大地がうっすらと見えてきました。 

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09:59 景色は次々と変わりました。空の下には青い海か湖か。 

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10:03 青い空の下には、さらに碧い海と山脈(やまなみ)も見えてきました。

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10:08 機体は静かに山あいの空港へと降り立ちました。2時間遅れではありましたが、無事に到着して感謝しました。

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空港に降り立つと、強い風と猛烈なスピードで流れる雲と青空が歓迎してくれました。

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空港の建物は、自然の景観を損なわないよう木をふんだんに使ったもので、デザインも優しさを感じさせ、自然に溶け込んでいるようでした。 

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10:42 ホテルまではバスで移動しました。窓の外にはでっかく青い空、ものすごく速いスピードで動いてゆく白い雲。 

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11:14 ついに、パタゴニアの風の大地を踏みしめました。とても強い風が吹き付けてきましたがそれ程の寒さは感じませんでした。

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着ていたダウンジャケットも背負っていたリュックも “パタゴニアブランド” のものでした。パタゴニアに来ることになるとは思わなかった、かなり昔に購入したもので、これも縁かもしれません。 

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11:16 ビーグル水道に面したホテルにチェックインしました。このホテルには連泊の予定で、ようやくゆっくりと過ごすことができそうでした。

長い道のりでしたが、パタゴニアの大地をしっかりと踏みしめることができました。早速、強烈な風の洗礼を受けました。いよいよパタゴニアの旅が始まりました。 

 

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