旅の記憶 パタゴニア物語 タンゴ発祥の地ポカ
2016年2/17(水) ツアー15日目となりました。前夜、本場のタンゴを楽しんだ余韻が抜け切れていませんでしたが、ブエノスアイレスの市内散策などで最後の観光を楽しみました。
午前中は自由行動でしたので、ホテルの近くを散策しました。サンマルティン広場は、緑が多く、その緑も濃く、都会のど真ん中にいることを忘れてしまうほどでした。
廃車になったバスかなと思ったのですが、れっきとした現役の観光バスで、ボディにはタンゴの絵が描かれていました。昨晩の過激な踊りを思い出しました。
緑の多いサンマルティン広場を抜けると、日本の銀座通りのような歩行者天国でもあるフロリダ通りに出ました。まだ10時前(09:52)で、開店j前の店が多かったのですが、雨上がりの道はしっとりとしていて、落ち着いていていい雰囲気でした。
何を買うという当てもなく、海外の街をブラブラと歩くのはいいものでした。
イタリアのバールのような、ショットバーがありました。カウンターで一杯やっている羨ましい人がいましたが、さすがにこの時間では入るわけにはいきませんでした。
街角に立つ変なおじさん、こういう面白い人が必ず居るもんですね。楽しくなりました。
午前中の自由散策の後、バスに乗って市内の観光地巡りをしました。ここは、アルゼンチンで最も有名な政治家や著名人が眠る墓地で、ブエノスアイレスで最も訪れる人が多い観光地の一つだそうです。雰囲気はまるで異なりますが、日本でいえば、織田信長や豊臣秀吉などの歴史上の人物から財界人までのお墓がある高野山奥の院の参道のようなものでしょうか。
昼食の時間になり、今回のツアーで最後の食事となりました。町一番の肉専門の老舗レストランへ。
店の入口には、大きな赤ワインのボトルをはじめ、赤ワインがズラリと並んでいました。
ツアー仲間の皆さんとまとまってテーブルを囲むのはこれが最後でしたので、乾杯しました。
メニューは、当然ビーフステーキで、フィレ肉の塊でした。
噛み応えがありましたが、ほどよいミディアムで、ジューシーでした。
アルゼンチンの味を堪能し、完食しました。
昼食後、バスでボカ地区へと向かいました。ボカ地区にはプロサッカーチームのスタジアムがありました。
地元のボカ・ジュニアーズはアルゼンチンでも強豪チームです。世界中のサッカーファンにもよく知られているチームです。
ちょっとした空き地では、未来のメッシュを夢見て、少年たちがボールを追いかけていました。アルゼンチンは前回ワールドカップの覇者でした。
やがて、タンゴ発祥の地ボカ地区のカミニート地区に入り、ここで自由時間となりました。
カミニート地区は、「母を訪ねて三千里」という、昔小さい頃悲しく切ない思いでテレビで見たり、本で読んだりしたストーリーの舞台になった場所でもあります。
街角の小さな舞台でタンゴを踊っていました。
昨晩のタンゴの余韻を楽しもうと、飲んべえのS氏と舞台の目の前のテーブルで、ビールを飲みながら鑑賞しました。劇場で見るタンゴとはまた異なった趣がありました。
タンゴは、どうやら客寄せのためのもので、さらにこんなポーズで有料記念写真を撮ることを商売にしているようでした。誘われたのですが、さすがにそれは恥ずかしい。
ブエノスアイレスの市内観光を終えて、国際空港へと向かいました。
空港が近くなったところで、添乗員のHitomiさんから挨拶がありました。まだお別れではないのですが、ドバイからは東京組と関西組とは別便になり、東京組はHitomiさんとはドバイでお別れとりますので、早めの挨拶となりました。
アルゼンチンの思い出がたくさんできました。本場のタンゴ、ビフテキと赤ワイン。アルゼンチンは、長期にわたる独裁政権に苦しみ、現在は経済危機に陥っている国です。辛いことや悲しいことがたくさんある国で、タンゴのメ哀切のロディーはそのシンボルのようでもあります。それでもつらさや悲しささえも楽しんでしまおうという明るさはやはり南米気質ということなのでしょうか。
| 固定リンク

























コメント