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2026年8月30日 (日)

旅の記憶 スペイン紀行 アルハンブラ宮殿

2016年9/13(火) スペイン観光の目玉の一つ、アルハンブラ宮殿へと行きました。 

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前夜一緒にフラメンコショーを見に行った5人組張り切りレディのリーダーYumikoさんのリードで、朝食前、出発前の早朝体操で身体をほぐしました。前夜就寝は遅くなったと思うのですが、相変わらず元気でした。

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宿泊したホテルはアルハンブラ宮殿のすぐ傍でしたので、比較的ゆっくりとホテルを出発しました。ホテル街の緩やかな坂を下ったところがアルハンブラ宮殿です。 

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アルハンブラ宮殿の入口です。 

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この日も朝から青空が広がり、強烈な太陽が顔を出していました。 

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最初に向かったのはアルハンブラ宮殿に隣接している「ヘネラリーフェ庭園」でした。1931年頃から整備が始まって1951年に完了したという庭園はよく整備されていて、濃厚な緑の樹木がとても気持ちよかったです。 

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緑だけではなく、花の色も鮮やかで、スペインで初めて名にした花々でした。 

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庭園の中には別荘があり、別荘内の中には細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられていました。この中庭は、アンダルシア地方におけるイスラム建築において、最も保存状態が良いものの一つとのこと。 

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「ヘネラリーフェ庭園」を出てくるとアルハンブラ宮殿の鐘楼が見えました。 

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アルハンブラ宮殿は、イスラム王によって建築(1238年着工、1391年完成)され、250年間のイスラム政権によって改築、増築されました。その後15世紀にキリスト教連合軍がグラナダを奪還した後、16世紀にキリスト教徒によって建築された宮殿です。 

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アルハンブラ宮殿の中に「カルロス5世宮」があり、その内側は円形の石畳の中庭になっていました。 

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アルハンブラ宮殿内には、国営のホテルがあり、フランシスコ修道院を改造した人気のホテルだそうですが、豪華ホテル並みの料金だそうです。

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アルハンブラ宮殿は、アルハンブラ教会やカルロス5世宮などたくさんの建物があります。教会はモスクのあった所に建てられたものです。

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アルハンブラ宮殿は、イスラム政権からキリスト教政権へと政権の交代が行われたという運命をもっていて、その間流血があったりもしました。砂漠に住むイスラムの人々は、昔から過酷な環境を壁で遮断してその内側に楽園を造ったともいわれています。 

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人気の観光スポットですので、入場は厳しく、3ヵ所でのチケットのチェックがありました。

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「アラヤネスの中庭」は、南北35m、東西7mの長方形の池。背景の塔は「コマレスの塔」。 

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滅びゆく王国が造ったイスラム建築の最高峰ともいわれています。キリスト教に政権が移ってから、キリスト教様式のデザインが加えられ、独特の雰囲気を醸し出しています。イスラム教徒を異端視しつつも、中世のヨーロッパはイスラムから医学、数学、化学など多くの知識を学び、建築もその一つといわれています。 

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宮殿から見た街並みは、中世の城下町のようでした。アルハンブラ宮殿が辿ってきた運命に思いを馳せると、ギター独奏曲の名曲「アルハンブラ宮殿の思い出」が聞こえてくるようでした。

 アルハンブラ宮殿は、例えばベルサイユ宮殿に比べればその規模は遙かに小さく、ポタラ宮に比べれば華やかさは足下にも及ばないのですが、イスラム教様式とキリスト教様式の融合と悲しい歴史とが相まって「アルハンブラ宮殿の思い出」は生まれたのでしょうか。

 

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2026年8月27日 (木)

旅の記憶 スペイン紀行 フラメンコ

2016年9/12(月) ミハスからグラナダに到着し、ホテルに落ち着いて夕食後オプションのフラメンコを見に出かけました。 

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ホテルのロビーに21:00に集合し、車に乗って別のホテルの入口に到着しました。そこから日の暮れた夜道を歩き始めました。 

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さすがに夜の9時を過ぎると辺りは暗く、旧市街のような細い路地を歩きました。フラメンコ鑑賞はオプションで、私を含めて7人くらいが参加しました。

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しばらく歩くと、公園のような広場に出てそこでは多くの人たちが夕涼みしながら食事をしたりお酒を飲んだりしていました。 

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広場のような所を通り過ぎると、ボーッとライトアップされた建物が闇の中に浮かんでいました。アルハンブラ宮殿の夜景でした。とても得したような気分になりました。 

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さらに歩いて行くと建物が建ち並ぶ角地を取り囲むようにして人だかりがしていました。フラメンコの路上ライブでした。 

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ギターの音と手拍子と歌声に合わせて、情熱的な踊りが展開されていました。初めての本場のフラメンコでした。激しい女性の動きと激しく地面を叩きつけるステップ、哀切のあるギターの音色が夕闇に響いていました。ジプシーという言葉が浮かんできて、これほど相応しいシーンはないかもしれないと思ったりもしました。 

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フラメンコショーの開始時間は22:00からでしたのであまりゆっくりと道草を食っているわけにはいきませんので、現地ガイドと添乗員さんの後について歩いて行きました。この道の先には何があるのだろうとワクワクするような路地でした。 

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21:50 会場に着きました。ショーの開始10分前でした。 

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会場の片隅にバーがありました。ワンドリンク付きということでしたのでシャンパンをオーダーしました。今年2月にパタゴニアに行ったとき、アルゼンチンで見たタンゴショーの時はワンドリンク付きでしたが、実際には飲み放題でした。ここではキッチリとワンドリンクでした。

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舞台は、洞窟のようなトンネルのような先にありました。紫がかったライトの先にあり、別の世界への入口のような、アラビアンナイトのような妖しいムードでした。 

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このオプショナルツアーには、5人組張り切りレディのうち、リーダーのYumikoさんともう一人が参加していました。 

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ショーが始まり、舞台にフルメンバーが揃いました。

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ギターと手拍子に合わせて歌と踊りが始まりました。こちらを睨みすえるような挑戦するような厳しい表情が印象的でした。ジプシーが辿ってきた厳しい道のりを表現しているようでもありました。 

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フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が一体になっています。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしています。

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歌は歌、踊りは踊り、ギターはギター、それぞれが独立したものでもあるとのことで、ギターのソロもありました。

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フラメンコは18世紀頃発生したものといわれていますが、不明な点も多いといわれています。それはおそらく、社会の底辺で流れてきたヒターノ(スペインジプシー)の歴史的背景によるものとも思われ、目の前で展開されている激しい踊りを見ていると、悲しく響いてくるものがありました。 

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男性も踊るとは思いませんでした。激しく舞台を踏みならすタップダンスが主体の踊りで、その音の大きさは怒りを発散させているようでもありました。 

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23:09 1時間あまりのショーが終わりました。シンプルだったのですが、激しく響くものがあり、また何故だか悲しく切ないものでもありました。

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ショーの会場を出て、誰も歩いていない夜道を歩いて戻りました。衝撃的なショーの後、とても不思議な感覚にとらわれる石造りの道を歩いていると、夢の中を歩いているような気持ちになりました。

トルコやモロッコでのベリーダンス、アルゼンチンでのタンゴ、スペインでのフラメンコ、それぞれ比較しようのないものですが、フラメンコには土や汗のにおいがするようでした。舞台で展開される踊りや歌よりも、歴史や演じている踊り手やギタリストの人生を考えてしまいました。

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旅の記憶 スペイン紀行 フラメンコ

2016年9/12(月) ミハスからグラナダに到着し、ホテルに落ち着いて夕食後オプションのフラメンコを見に出かけました。 

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ホテルのロビーに21:00に集合し、車に乗って別のホテルの入口に到着しました。そこから日の暮れた夜道を歩き始めました。 

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さすがに夜の9時を過ぎると辺りは暗く、旧市街のような細い路地を歩きました。フラメンコ鑑賞はオプションで、私を含めて7人くらいが参加しました。

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しばらく歩くと、公園のような広場に出てそこでは多くの人たちが夕涼みしながら食事をしたりお酒を飲んだりしていました。 

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広場のような所を通り過ぎると、ボーッとライトアップされた建物が闇の中に浮かんでいました。アルハンブラ宮殿の夜景でした。とても得したような気分になりました。 

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さらに歩いて行くと建物が建ち並ぶ角地を取り囲むようにして人だかりがしていました。フラメンコの路上ライブでした。 

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ギターの音と手拍子と歌声に合わせて、情熱的な踊りが展開されていました。初めての本場のフラメンコでした。激しい女性の動きと激しく地面を叩きつけるステップ、哀切のあるギターの音色が夕闇に響いていました。ジプシーという言葉が浮かんできて、これほど相応しいシーンはないかもしれないと思ったりもしました。 

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フラメンコショーの開始時間は22:00からでしたのであまりゆっくりと道草を食っているわけにはいきませんので、現地ガイドと添乗員さんの後について歩いて行きました。この道の先には何があるのだろうとワクワクするような路地でした。 

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21:50 会場に着きました。ショーの開始10分前でした。 

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会場の片隅にバーがありました。ワンドリンク付きということでしたのでシャンパンをオーダーしました。今年2月にパタゴニアに行ったとき、アルゼンチンで見たタンゴショーの時はワンドリンク付きでしたが、実際には飲み放題でした。ここではキッチリとワンドリンクでした。

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舞台は、洞窟のようなトンネルのような先にありました。紫がかったライトの先にあり、別の世界への入口のような、アラビアンナイトのような妖しいムードでした。 

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このオプショナルツアーには、5人組張り切りレディのうち、リーダーのYumikoさんともう一人が参加していました。 

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ショーが始まり、舞台にフルメンバーが揃いました。

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ギターと手拍子に合わせて歌と踊りが始まりました。こちらを睨みすえるような挑戦するような厳しい表情が印象的でした。ジプシーが辿ってきた厳しい道のりを表現しているようでもありました。 

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フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が一体になっています。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしています。

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歌は歌、踊りは踊り、ギターはギター、それぞれが独立したものでもあるとのことで、ギターのソロもありました。

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フラメンコは18世紀頃発生したものといわれていますが、不明な点も多いといわれています。それはおそらく、社会の底辺で流れてきたヒターノ(スペインジプシー)の歴史的背景によるものとも思われ、目の前で展開されている激しい踊りを見ていると、悲しく響いてくるものがありました。 

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男性も踊るとは思いませんでした。激しく舞台を踏みならすタップダンスが主体の踊りで、その音の大きさは怒りを発散させているようでもありました。 

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23:09 1時間あまりのショーが終わりました。シンプルだったのですが、激しく響くものがあり、また何故だか悲しく切ないものでもありました。

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ショーの会場を出て、誰も歩いていない夜道を歩いて戻りました。衝撃的なショーの後、とても不思議な感覚にとらわれる石造りの道を歩いていると、夢の中を歩いているような気持ちになりました。

トルコやモロッコでのベリーダンス、アルゼンチンでのタンゴ、スペインでのフラメンコ、それぞれ比較しようのないものですが、フラメンコには土や汗のにおいがするようでした。舞台で展開される踊りや歌よりも、歴史や演じている踊り手やギタリストの人生を考えてしまいました。

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2026年8月24日 (月)

旅の記憶 スペイン紀行 グラナダへ

2016年9/12(月) ミハスでたっぷりと南スペインの太陽を浴びて優雅な時間を過ごし、この日の最終目的地グラナダを目指しました。

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マラガ・ミハスからグラナダへはほぼ2時間の行程です。一部海沿いを走りその後は山間部も走るようです。

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16:30 まだまだ強い日射しが降り注いでいる中、白壁の街を後にしました。 

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山肌に、別荘マンションが並んでいました。きっと寒い冬になっても暖かい陽射しを浴びることができるのでしょう。

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バスの中からも地中海を眺めることができました。この地域は「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」と呼ばれ、スペインの観光にとって最も重要な地域といわれています。

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太陽海岸のエリアにはリゾート施設やマンション群が立ち並んでいました。アンダルシア観光の35%を占め、年間1,730万人の宿泊客があるそうです。 

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私たちのバスは、地中海沿いの道を離れて内陸部へと進みました。空は雲一つなく青く、緑もより濃く見えました。 

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内陸部にもいくつかの町が現れ、気候が温暖なこの地域はきっと過ごしやすいのだろうと思われました。 

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今まで見たこともない景色が現れました。どういう地域なのか聞きたかったのですが、添乗員さんをはじめツアー仲間たちも眠りこけていて、車内はシーンと静まりかえっていました。 

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山間部に入ると、町は現れるのですが、人口は少なく小さな町のようでした。 

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山間部をさらに進むと、なだらかな丘陵地帯に沿って家々が並んでいるのですが、今まで見たこともないような厚い雲がわいていました。この日の宿泊はアルハンブラ宮殿の近くと聞いていましたので、雨のアルハンブラ宮殿もいいかもしれないと思ったのですが。 

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18:48 この日宿泊するホテルに到着しました。

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8時にセビリアを出発して11時間後の到着でしたが、全員元気でした。 

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今までのホテルはコンドミニアムだったりベッドが3つもあったりでしたが、この日の部屋はとてもオーソドックスなツインでした。 

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この日のホテルはアルハンブラ宮殿の隣と聞いていたのですが、部屋の窓からは木立しか見えず、その先に宮殿はあるようでした。とても静かで落ち着ける場所でした。 

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食事時になり、何はなくてもとりあえずはビール、そして白ワイン。スペインの酒代は他のEU加盟国に比べて安く、この頃になると現地通貨(ユーロ)が余りつつありましたので、大胆にアルコールの注文をするようになりました。

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夕食はバイキングで、美味しいお酒が飲めればいいやと思っていましたら料理は二の次になってしまって何が何だかわからない盛りつけになってしまいました。 

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食事中に流しのお兄さん2人が歌い始めました。CDの販促活動をしていたのですが、芳しい成果は得られなかったようで、気の毒でもありましたが、あまり興味のない音楽でした。 

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食後、部屋から見たアルハンブラ宮殿の上空には青空が広がっていて、翌朝の観光は天気が良さそうでした。

この日は、夕食後に21:00からフラメンコ見物に行く予定になっていましたので、酒も食事もほどほどにしました。 

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2026年8月21日 (金)

旅の記憶 スペイン紀行 ミハス・ピカソ

2016年9/12(月) スペイン・アンダルシア地方の強い太陽を浴びながらミハスで昼食をとり、その後の自由時間を過ごしました。 

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ミハスは小高い山の麓に貼り付いたような街ですのでいたるところに坂道があります。その坂道に沿ってうまい具合に白い壁の家が建てられています。 

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MIJAS(ミハス)散策マップを片手にそれぞれ自由時間を過ごしました。 

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狭い立地条件の中、壁を立体的にうまく使って、花を飾って楽しく暮らそうという心意気がこちらにも伝わってくるようでした。

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緩やかな坂道や石段を少しずつ上ってゆくとミハスの街を上から見ることができました。

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5人組張り切りレディのリーダーYumikoさんと。Yumikoさんは、早朝体操のリーダーでもあり元気な人でした。 

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展望台から眺めると34階建てのアパート風の建物がびっしりと密集していました。当然のことですが、建物の色は統一され、看板や電線など景観を邪魔するものは一切ありません。 

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サンセバスチャン通りの入口には街の人たちの寄付による教会がありましたが、展望台にも教区教会(地域社会の拠点となる教会)がありました。この教会はイスラム時代の城跡に建てられたもので、ここでもキリスト教徒イスラム教のせめぎ合いがあったことがわかりました。 

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展望台からは見晴らしがよければ地中海やその先のアフリカ大陸(モロッコ)が見えるはずですが、残念ながら無風状態で霞がかかっていました。 

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展望台の近くに楕円形の、可愛いと噂の闘牛場がありました。闘牛は年中行われているわけではなく、大相撲のように全国を巡業しているそうです。 

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(インターネットより転載) 有料で入場できるのですがパスしました。料金は日陰が高く、日陰でないところは安いそうですが、日陰はなさそうです。闘牛場が小さい分闘牛と観客席との距離は近く、闘牛は最後には殺されますので、凄い迫力でしょうし、その分残酷でもあります。添乗員さんによると、日本人女性は大抵涙を流すそうです。殺された闘牛はステーキとなり天寿?をまっとうするそうです。

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ピカソの通りに出ました。

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ピカソ美術館。ロゴマークが白壁にマッチしていました。 

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ピカソと並びましたら、ピカソ人形は意外に小さく可愛いものでした。

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ピカソはあちこちに居ました。 

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ピカソ美術館となっていますが、数枚のレプリカが飾られているだけで、実際にはアクセサリーなどが売られているだけでした。ピカソの生家や本物の美術館はマラガ市内にあります。 

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賑やかな通りだけではなく、静かな通りもあり、ノンビリとこんな道を歩くのもいいものでした。

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地元の押し花を使った可愛いアクセサリーが置いてあるという女性に人気のお店で、日本人スタッフが居ました。トイレを借りることもできました。 

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強烈な陽射しと青い空、白い壁と鮮やかな花と緑。地中海に面した都市ならではで、イタリア・ナポリのカプリ島にある街のようでした。 

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ここはトイレ。オシャレです。

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ミハスの自由観光を終え、バスに戻りました。バスのエアコンの気持ちよかったこと。

絶好の天候に恵まれたミハスは最高でした。唯一残念でしたのが、マラガにあるピカソの生家と美術館を訪れることができなかったことと、ピカソの本物の絵を見ることができなかったことでした。 

 

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2026年8月18日 (火)

旅の記憶 スペイン紀行 ミハス・白壁の家

2016年9/12(月) 午後2時近くにミハスに着きました。スペイン南部の観光の目玉ともいえるスポットです。

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ミハスの人口は78,000人(2014年)の観光都市です。最初にわかりやすい地図を渡され、押さえた方がいいポイントには赤いマークが付けられていました。このくらいの広さであれば一人で歩いても迷う心配はなさそうでした。 

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ミハスは標高400m、山の裾野に沿って築かれた町です。

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駐車場からはエレベーターを使うかいくつかの石段を上るかして街中に入って行きました。先ずは全員で昼食のレストランへと向かいました。 

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ミハスには別荘代わりに住んでいるイギリス人が3割近くいるどうです。お金をたくさん落としてくれるので、ロンドン~マラガ間の航空運賃は往復1万円もしないそうです。 

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かつては日本人も住んでいたそうなのですが、食事が合わないとかで今はいないそうです。ここまで食べてきた食事はあまり手をかけない食材は美味しいと思ったのですが、フライや加工したものは味付けや調理がちょっと違うと思いました。それは世界中どこへ行っても同じことで、当たり前のことですが、やはりフライものが多いような気がしました。

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町の中心部にある小さな広場が憲法広場、道がわからなくなったらここへ戻るという目印の場所になりました。

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レストランへと向かう途中の街並みや辻にキョロキョロしてしまいました。白い壁には鉢植えの花が飾られていて白い壁によく映えていました。

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地中海に面していて、強い日射しが降り注ぐこの町は特にヨーロッパ人に人気があるそうです。陽射しを浴びながらお茶したり食事をしている光景がよく見られました。

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比較的広い通りもあり、車も乗り入れているようです。 

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白い町といわれるミハスは、建物の外壁は全て真っ白です。これは強い太陽の光を跳ね返すために白い壁にしたそうです。 

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この白く美しい教会は、町の人の寄付により17世紀に造られたものだそうです。

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昼食をとったレストランは、サンセバスチャン通りという小さな通りの角にあるこじんまりとした店構えでした。

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店内に入ると1階はタパスが美味しいといわれるバールになっていました。ここでの食事も魅力的でしたが。 

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私たち一行は2階のこじんまりとした部屋に通されました。私たち全員でほぼ満席になりました。 

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生ビールをオーダーすると、どういうわけか長靴の形をしたビアジョッキーが出てきました。まあジョッキーがどうであれよく冷えたビールは旨かったです。 

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前菜は野菜のトマトケチャップ煮のようなものでした。

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メインは白身魚を揚げたものでつけ合わせのポテトが美味しかったです。

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デザートは、ヨーグルトアイス。 

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食後は自由行動でしたので、その前に写真を、5人組張り切りレディとHitomiさんたちと。

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ミハスが紹介されるときの代表的な白い壁の通り。白い壁に太陽の光が降り注いでいて、ミハス観光は強い日射しと青空の日に限ります。

スペインのアンダルシア地方の強い太陽光、白い壁の街を歩きながら、情熱の国スペインの雰囲気に浸りました。 

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2026年8月15日 (土)

旅の記憶 スペイン紀行 マラガ・ミハスへ

2016年9/12(月) セルビアのホテルを08:00に出発し、セビリア観光の後ミハスへと向かいました。 

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目的地のミハスは、スペインの南端のアンダルシア地方・マラガ県にあります。 

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セビリアからミハスまではほぼ3時間の行程でした。バスから眺めた光景は、どこへ行っても青空が広がっているのですが、青空の下の世界は少しずつ変わっていきました。

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12:11 出発してほぼ2時間、ドライバーさんの休憩とトイレ休憩を兼ねてドライブインに入りました。ドライブインは、日本のSAと同じように一定の距離間隔で設置されているようでした。

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ドライブインの内部は、日本でいえば規模の大きいSAと同じくらいのスペースで、かなり豪快なパンやハンバーグなどの食材が並べられていました。 

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どこでもオリーブオイルとパンを細かくカットしたものが置いてあって試食できました。種類によって味はかなり異なっていました。

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オリーブオイルと同様に生ハムも置いてありました。添乗員の橋本さんから、この生ハムもお勧めといわれましたのでお土産に買ってしまいました。日本に入国するときに羽田で警察犬がいないことを祈りつつ。 

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レジには、陽気なスペイン娘さんが客を捌いていました。北部に比べて南部の人の方が陽気そうに見えるのは気のせいでしょうか。

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買い物を済ませてバスに戻ってもドライバーさんはしっかりと休憩をとっていて、バスのドアが閉まっていることもしばしばでした。日射しは強いのですが、木陰に入るとスーッと涼しくなるのでした。

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マラガ県内に入ると小高い山が目立つようになりました。マラガにはマラガ山自然公園もあります。 

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山のなだらかな裾野に沿って白い壁の家が目立つようになりました。

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マラガには国際空港があり、この日も飛行機が飛び立っていました。これから向かうミハスにはイギリス人がたくさん住んでいて(ミハス人口の3割とか)、ロンドン~マラガ間の航空往復運賃が1万円もしないとか、激安です。 

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(インターネットより転載) マラガには14,000人収容できるという「マラゲータ闘牛場」があります。今回闘牛は見ることができませんが、マドリッドでは若い人たちによる闘牛反対のデモが行われていました。

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(インターネットより転載) 今回はマラガの観光はミハスだけで、最も残念だったのがピカソの作品を見ることができないことでした。(画像はピカソの生家の一部とピカソ美術館の内部) 

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バスはミハスの入口に到着しました。白い壁の家々がいきなり目に飛び込んできました。 

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13:39 セルビアからほぼ3時間でミハスの駐車場に着きました。ミハスは山肌にしがみつくように造られた街で、道も駐車場スペースも狭いのですが、何とか駐車することができました。 

スペイン南部のアンダルシア地方は、自分が描くスペインイメージにもっと近く、異国情緒を最も感じることができるエリアのようです。白い町ミハスがあるマラガは、スペイン第6位の都市で巨匠ピカソを輩出した地であり、フラメンコで最も重要な曲種マラゲーニヤの発祥の地でもあります。ここでの観光がミハスだけで、ピカソの生家や絵画を見ることができなかったのは残念でした。 

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2026年8月12日 (水)

旅の記憶 スペイン紀行 セビリア散策

2016年9/12(月) 前日、マドリッドからセビリアまで長距離移動して多少疲れたものの、元気に目覚めセビリア観光に出かけました。セビリアはスペイン第4位の都市で、スペイン南部の政治、経済、文化の中心で、観光都市でもあります。 

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ホテルの窓から見た夜明けの光景。この日も天気は良さそうでした。

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張り切り5人組レディが中心になってすっかり恒例になった早朝体操。この日も元気に一日が始まりました。 

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朝食はバイキング。できるだけ野菜や果物をとるようにしました。 

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最初に出かけたのがセビリアのスペイン広場でした。ここは1929年に万国博覧会の会場施設として造られたものです。 

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ここのスペイン広場は世界一美しいといわれています。またここでは「アラビアのロレンス」や「スター・ウォーズ」の撮影の舞台にもなりました。 

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パピリオンとして建てられた広場内の建物は、セビリアをはじめアンダルシア地方の典型的な建築様式で造られていて、そのデザインは確かに素晴らしいものです。日本の大阪万博が行われたのが1970年ですので、その40年も前にここで万博が行われました。

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広場を取り囲む回廊の下には、スペイン各県の歴史的出来事を描写した壁面タイル絵が描かれていて、とても精巧にできていました。

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スペインの地図もタイル絵で描かれていて、スペインとアフリカ大陸(モロッコ)がいかに近距離かわかりました。 

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回廊で、南米の先住民族の衣装を身に着けた人が南米の音楽を奏でて、CDを販売していました。昨年から今年にかけて出かけたマチュピチュやパタゴニア、ペルーやチリやアルゼンチンで見たり聴いたりしたものです。スペインに侵略された国の人がスペインのスペイン広場にいることが不思議な気がしました。

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スペイン広場からさらに市内を歩いて行くと、大きなモスクの立派な屋根が見え、ここはイスラム教圏であることを思い出しました。 

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セビリアの人口は70万人、セビリア都市圏の人口は130万人でスペイン第4位の都市です。街並みは中堅都市の落ち着きが感じられ、とてもいい雰囲気でした。 

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セビリアの大聖堂は、ローマのバチカン市国にあるサンピエトロ寺院を除けば、カトリック教会の中では世界一大きいといわれています。

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大聖堂にはコロンブスの墓があり、それを見ようという人たちが行列をつくっていました。残念ながら私たちはミハスを経由してグラナダまで行かなければならず、時間があまりないために入場はパスしました。

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(インターネットより転載) 大聖堂の中にはコロンブスの墓がおかれていて、4人の王様がコロンブスの棺を抱えているモニュメントになっています。当時スペインは4つの王国に分裂していたので、それを象徴しています。また、コロンブスの家族の遺骸もここに収められているのですが、その際DNA検査を行い鑑定したそうです。

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中世の面影を残す街中の散歩も楽しいものでした。 

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ふっと現れた涼しげなオシャレな広場。スペイン第4位の都市でありながら、このような落ち着いた場所があることは素晴らしいことです。

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小さな広場の脇では、ファミリーで寛ぐ姿も見られました。

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今回のツアーで何回も見たことがある路地ですが、洗練されて落ち着いていました。 

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ジェラートの種類は多く、どれにするか随分迷いました。

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店の工事をしている職人の傍で井戸端会議をしているツアーメンバーの皆さん、地元の話し好きのおばさんたちといった風情で、すっかり雰囲気に馴染んでいました。オペラの舞台を見ているようでもありました。このような何気ない普通の光景はいいものです。

セビリアといえば「セビリアの理髪師」というオペラがあり、何となく馴染んだ地名でした。セビリアには大聖堂などがあるのですが、ここまでの行程で大聖堂は何ヵ所か見学してちょっと食傷気味でしたので、何となくの街中歩きはとても寛げました。落ち着いていて、いい町だなあと思いました。 

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2026年8月 9日 (日)

旅の記憶 スペイン紀行 セビリアへ

2016年9/11(日) コルドバのメスキータやユダヤ人街を訪れた後、この日の最終目的地セビリアに向けて出発しました。 

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これまでの行程を振り返ってみると、マドリッドで連泊し、途中トレドに寄り、ラ・マンチャ地方を経由してコルドバに着き、コルドバからセビリアに向かっています。スペインを縦断する形になっていて、バルセロナには最終日に到着予定です。 

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あちこちで目についたのが黄色い郵便ポストでした。 

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こちらはこの年の5月に鹿児島を訪れたとき、JR最南端の西大山駅の前で見た「幸せを届ける黄色いポスト」です。黄色のポストもいいものです。

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17:32 コルドバ市内の目抜き通りには小型車と同じくらいの大きさの黄色のゴミ回収ボックスがあちこちに置いてありました。ゴミ回収ボックスは他の色もあり、多分ゴミの種別毎に色が違うと思うのですが、スペイン人はとても清潔好きで、街の路上でゴミはほとんど見かけませんでした。

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また交差点のあちこちには気温表示と時間表示の液晶ボックスが置いてあり、この日の気温は38℃。確かに陽射しを受けるとジリジリする感じはしますが、湿度がないために日陰に入ればそれほど大変ではありませんでした。それに比べる日本の梅雨時の逃げようのない蒸し暑さは拷問に等しいものです。

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コルドバの歴史地域も居心地がいい空間でしたが、歴史地域を離れても落ち着いたリゾートタウンのような雰囲気でした。 

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街並みには高層建物がなく、それが落ち着いた雰囲気を醸し出しているようです。 

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市内を離れて高速道路に入りました。コルドバからセビリアまで約2時間の行程です。

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これで何頭目の牛でしょうか、高さ14mのオズボーンの雄牛。オズボーン社はシェリー酒の醸造会社で、1956年から設置し、当時はもっと小さかったのですが、道路から150m以内の広告活動が禁止されたためにこの大きさに変えたそうです。 

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広告の看板が見当たらない景色はスッキリとしていて、何回も目にした北海道のような景色、空の青と白い雲、大地の土色と低木の緑のグラデーションを楽しむことができました。 

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18:08 セビリアまで残り96kmとなりました。

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19:12 セビリアの市内に入りました。 

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19:26 ホテルに到着しました。コルドバから予定通り2時間の行程でした。 

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荷物を持って、ホテルのロビーに入りました。ホッとした瞬間でした。マドリッドを08:15に出発して11時間の長時間移動でした。 

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部屋は、何とベッドが3つもありました。飲み友のN氏の部屋は隣で、ベッドが4つもあり、二人で大笑いしました。 

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窓からの景色は、目の前に大きな糸杉が4本天に伸びていて印象的でした。

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20:22 食事はレストランで。ホテルのレストランには他の外国人客がたくさんいて、これだけの人たちと一緒の食事は今回初めてでした。

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バイキング形式でしたのでお好みの食材を選びました。嬉しかったのが冷たく冷えた美味しい生ビールでした。 

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嬉しかったのが、N氏と私の飲み友グループに酒豪のママさんが加わってくれたこと。ビールを飲んだ後、4人でボトルを2本オーダーしました。 

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ママさんの息子さんもN氏と同じくらい酒豪のようで、飲み友が4人となりすっかり盛り上がり、長旅の疲れも忘れました。

今回のツアーでは全行程2,000kmで、その多くは高速道路なのですが、黒い牛の看板以外にはほとんど広告看板を見ることがなく、とてもスッキリと景色を楽しめました。それに比べて、日本の高速道路沿いや鉄道沿線の見苦しい看板は恥ずかしいものです。 

 

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2026年8月 6日 (木)

旅の記憶 スペイン紀行 コルドバ・メスキータ

2016年9/11(日) 朝08:15にマドリッドを出発して14:30コルドバに到着し、昼食後メスキーナの観光に向かいました。

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マドリッドなどのスペイン北部はキリスト教圏ですが、アンダルシア地方のコルトバからセビリアにかけての中部から南部はイスラム教圏となっています。 

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メスキータはコルドバのシンボル的な建物で、メスキータとはモスクのことです。 

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メスキータは、コルドバのシンボル的な建物で、メスキータとはモスクのことですが、イスラム教徒キリスト教の争奪戦の舞台になりました。その結果、勝利したキリスト教がイスラム寺院を教会に使っているという珍しいものです。 

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イスラム教寺院の名残は比較的シンプルな造りに見ることができますが、何となくエキゾチックなデザインでイスラム・アーチといわれています。 

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トレドの大聖堂で見たのと同じ聖体顕示台。ここでも大量の金が使われています。 

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かつてのイスラムの礼拝堂は、現在はキリスト教の礼拝堂として使われています。メスキータをキリスト教が支配した当時の新国王カルロス一世は、メスキータ(モスク)をキリスト教の礼拝堂に改装した結果、どこにでもある聖堂のようになってしまったことを悔いたとのことです。 

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金がふんだんに使われた宝物も陳列されていて、礼拝堂の内部であることを忘れてしまいそうでした。 

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極めつきは、黄金の間。安土桃山城の天守閣を復元した展示を見たことがあるのですが、そこには黄金の茶室があったことを思い出しました。金がふんだんに使われた宝物も陳列されていて、ここでも礼拝堂の内部であることを忘れてしまいそうでした。

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黄金の塔の前で、5人組張り切りレディ+Hitomiさんたちと一緒に記念写真。

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メスキータを見た後、同じ歴史地区にあるユダヤ人街に出かけました。コルドバは、スペインの代表的な詩人、ガルシア・ロルカが「騎士の恋歌」の中で、「遙かなる孤独のコルドバよ!と謳いあげた町で、同時に「静かなるコルドバ」の異名も与えられた気品に溢れた貴族的な町です(地球の歩き方より)。ここはユダヤ人街。

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かつてユダヤ人が住んでいたというユダヤ人街には、「花の小径」といわれる路地があります。細い路地の白壁には、ブルーの鉢に草花が植えられていて、白い壁によく映えていました。

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いくつかの小径を散策しました。ここは何のお店かわかりませんでしたが、メスキータで見たのと同じイスラム・アーチになっていました。 

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このお店は、テーブルと椅子の感じからしてお茶するような所のようです。とても落ち着けるような雰囲気でした。

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こちらは白い壁に鉢が飾られていて、まるで店内が外の路地のような雰囲気になっていて、とてもいい雰囲気でした。こんな所で、ワインをいただいてタパス(小皿料理)をいただいてノンビリできたらいいなあと思いました。 

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この日も強い日射しが降り注いでいて、誰もが日陰を求めて涼をとっていました。

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ちょっとした自由時間ができましたので、現地ガイドさんと一緒にバールに入って、ビールで乾いたノドを潤しました。目の前にぶら下がっている生ハムブロック(プロシュート)が気になりました。 

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カウンターには何種類かの総菜が並んでいました。もう少し時間があればワインをオーダーして総菜をつまんでみたかったのですが、あまり時間がありませんでした。時間は短かったのですが、念願のバールに入ることができました。 

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大きな平鍋にはパエリアでしょうか、出番を待っていました。ここで食事をとってしまいますと夕食に差し支えかもしれませんでしたので、断念しました。

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コルドバの歴史地域の散策を終えて、バスに向かいました。

初めてのスペインですが、ここまで訪れたマドリッド、トレド、コルドバなどの観光地の印象では、大聖堂などの宗教施設の豪華さや金がふんだんに使われていることに驚かされました。一方、このコルドバの町は雰囲気があってとてもいい町でした。個人旅行でゆっくり来ることができればいいのですが。 

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2026年8月 3日 (月)

旅の記憶 スペイン紀行 ドライベー事情

2016年9/11(日) ラ・マンチャ地域で風車を見てドン・キホーテの世界に触れた後、次の目的地へと向かいました。 

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10:55 風車を見学した後、再びバスに乗りました。眼下には、気象条件の厳しい大地で肩を寄せ合うように立っている街並みが広がっていました。ここでも暮らしている人たちがいて、それぞれの人生があるんだなあと思ったりもしました。 

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ラ・マンチャ地方は乾いた大地という意味ですが、バスが南下するにつれ褐色の大地には緑が目立ち始めました。緑の低木はブドウとオリーブで、スペインでのブドウの作付面積は世界一だそうです。 

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次の目的地のコルドバまではおよそ3時間半の道のりで、ラ・マンチャ地方の平原を抜けて、前方には小高い丘なども見えるようになってきました。 

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緑と褐色と青い空。絵のような世界が現れては後方に流れていきました。 

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バスはやがて山の中に入って行きました。スペインに来て初めて見る山の姿でした。 

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トイレ休憩を兼ねてドライブインで小休止しました。

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どこのドライブインでもほぼ同じような店舗になっていて、レストランとお土産売場が併設されていました。ここではフラメンコ人形が目をひきました。 

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オリーブオイルにも種類がたくさんあって、パンの切れ端につけて試食できました。右側のオリーブオイルがとても美味しかったので衝動買いしてしまいました。 

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イベリコ豚の添乗員さんお勧めの生ハムがありましたのでこれも買ってしまいました。常温で日本に持ち帰ることができるとのことでしたが、スペインからの持ち出しは禁止ですし、日本への持ち込みも禁止ですが、お土産用に買ってしまいました。 

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長距離をずっと運転してくれている運転手さんにとっても、休憩はとても大事です。 

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小休止の後、バスはコルドバ目指して、延々と続く北海道のような景色の中を快走しました。 

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飲み友のN氏が焼酎(黒霧島)を持ち込んでいましたので、お裾分けに預かりました。ありがたい飲み友でした。

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高速の沿道には白壁の目立つ小さな集落がぼつぼつと見られるようになりました。

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14:27 風車の村を出発して3時間半、予定通りにコルドバの町に入りました。 

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バスを降り、レストランへと向かいました。日本ではかなり遅い昼食の時間ですが、スペインでは昼食の時間も夕食の時間も遅く、多くの人たちが食事をしていました。 

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私たちはオープンテラスではなく、店内に案内されました。 

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前菜はポタージュスープ。 

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メインは、ポークとハムを揚げたものですが、はっきりしない味で???した。

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デザートのメロンは甘く、瑞々しくて美味しかったです。 

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昼食後、コルドバ観光に向かいました。コルドバはかなり暑いですよといわれていましたが、本当に暑かったのでした。 

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コルドバは、西暦1000年頃の王朝の首都で、イスラム時代の文化を伝える建築物や街路が残されています。メスキータ(モスク)やユダヤ人街を含む「コルドバ歴史地域」は世界遺産に登録されています。

観光バスの運転手さんは、運転時間や距離、休憩の時間など法律でかなり厳しく規制されていて、しかもコンピュータ管理されています。ちょっとでも違反すると大変な罰金を課せられ、スペインのバス運行管理は日本に比べるとかなり進んでいます。 

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